日本にもセクハラ追放の波 誰もがまともに働きたい
ダイバーシティ進化論(水無田気流)
ハリウッドに続きカンヌでも――世界同時多発的にセクハラ追放の機運が高まっている。その中心的な位置を占めるのは、SNS(交流サイト)上のセクハラ被害告発キャンペーン「#MeToo(私も)」だ。日本ではなかなか根づかないと言われていた矢先、財務省事務次官がセクハラ疑惑から辞任。女性活躍を担当する野田聖子総務相は5月に入り再発防止策をまとめる意向を表明するなど、日本でのセクハラ追放のうねりの行方が注目される。
セクハラは健全な職場風土育成を阻害し、生産性と企業の利潤双方の低下に結びつく悪弊である。醜聞や人権問題はもとより、経済問題としても真摯に問い直されるべき課題だ。
また、社内研修ではセクハラ防止を呼びかけつつ、裏では「会社のために、取引先の相手から受ける多少のセクハラは、笑って受け流すべき」などと女性たちに暗黙に要請するようなダブルスタンダードも、解消が求められる。
そうした観点からセクハラの問題をとらえ直す変化が急速に訪れている。カリフォルニア大学のジョアン・C・ウィリアムズ教授と、ラトガース大学のスザンヌ・レブソック名誉教授は、「『#MeToo』運動を機にセクハラ文化は終わるのか」と題した論文(『DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー』6月号より)で、現在米国人の87%がセクハラを一切容認すべきでないと考え、男性の5割が女性をめぐる自分の言動に対して考えを改めたと述べている。
背景にあるのは男女の対立ではなく、一部の不届き者が他人の仕事を邪魔すべきではないという認識の浸透によるものだという。
今起きているのは、創世記のアダムとイブの神話に連なる女性への偏見を打ち砕く、社会的慣習の根源的変化だ。これは決して、性差やその美点が失われることを意味しない。葬り去られるべきは、女性が自身の意に反する性的対象扱いに耐えねばならなかった「悪しき労働文化」の方だとこの論文は指摘している。「誰もが職場で真っ当(まっとう)に仕事がしたい」のだから、と。
この、人として当たり前の希望が、生まれながらの性別によって阻まれてきた歴史こそが、間違っているのではないか。「ダイバーシティ(人材の多様性)」とは、人間の当たり前の希望を、現実にするための方途である。
1970年生まれ。詩人。中原中也賞を受賞。「『居場所』のない男、『時間』がない女」(日本経済新聞出版社)を執筆し社会学者としても活躍。1児の母。
[日本経済新聞朝刊2018年5月21日付」
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