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縄文人も食べていた納豆 煮豆とワラの幸運な出合い 30の発明からよむ日本史 (1)納豆=縄文時代

2018/5/19

ご飯に納豆が欠かせないという人も 写真はイメージ=PIXTA

 縄文人がすでに食べていたともいわれる納豆。誕生については謎が多いが、煮豆とワラとの出合いによって生まれたのは、間違いないことだろう。現在はたんぱく源として人々に食されているが、庶民がごく普通に食べるようになったのは、江戸時代のことだ。そして、庶民の食卓の定番となった。簡単に作ることが可能ということもあって、長く機械による生産が進まなかった納豆だが、大正時代になって、現在に続く生産体制が整うことになった。日本史に残されたモノやコトがどのような契機で始まったのかなどを紹介する『30の発明からよむ日本史』(日本経済新聞出版社)から、食に関する部分を取り上げて、4回にわたり連載する。第1回は「納豆」について。

縄文時代から食べられていた納豆

 日本人は、いつから納豆を食べはじめたのでしょうか。はっきりしたことはわかりませんが、中国大陸から稲作が伝わった縄文時代の終わりごろには、すでに食べていたのではという説があります。納豆の基になる大豆は、縄文時代の終わりに日本に伝わったとされます。

 縄文人は竪穴住居の床に稲ワラを敷いていました。納豆を作るのに欠かせない納豆菌は枯草(こそう)菌の一種で、空気中や枯れ草、稲ワラなど、身近なところにたくさんひそんでいます。納豆菌は暖かく、湿ったところを好む性質があるため、保温保湿性にすぐれた稲ワラは、納豆菌にとっては格好のすみかです。

 米や大豆の栽培が普及した弥生時代に、納豆のような食べ物があったという説もあります。弥生人は、ヤマイモをすりおろして(現在のトロロ汁のようなもの)、生で食べていたようで、糸を引く豆もそれほど抵抗なく食べることができたのかもしれません。

 納豆の誕生にはさまざまな説がありますが、いずれにしても煮豆とワラとの出会いがきっかけだと考えられています。全国納豆協同組合連合会のウェブサイトによると、日本産の稲ワラ1本には、約1000万個もの納豆菌が胞子の状態で付着しており、ワラを束ねて「苞(つと)」という容器を作り、その中に煮豆を詰めておけば、煮豆が糸を引くようになるそうです。

納豆発祥の石碑 秋田県横手市の金沢公園には、「納豆発祥の地」をうたう石碑がある。 この地において、後三年合戦が行われたとされる。

 弥生人はそのまま食べるには硬い大豆を、土器で煮て食べました。ただし強度の問題で長時間煮ることができなかったため、つぶして熱を通りやすくしてから煮たとされます。

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