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子供140人生贄 550年前のペルーで何があった?

日経ナショナル ジオグラフィック社

2018/5/14

ナショナルジオグラフィック日本版

考古学者たちは1日で12体以上の生贄の遺体を発掘した。遺体は乾燥した砂の中で500年以上保存されていた。子供たちの死亡時の年齢は8歳~12歳が多かった(PHOTOGRAPH BY GABRIEL PRIETO)

 今から550年ほど前、ペルーの北部沿岸地域のチムー文明で、140人以上という南北アメリカ大陸で(おそらく人類史上でも)最大規模の子供の集団生贄(いけにえ)の儀式が行われていた証拠が発見された。子供のほかに200頭以上のリャマの子も生贄としてささげられた。

 チムー文明は、ヨーロッパ人がやって来る前、先コロンブス期にペルーで栄えた、いまだ謎に包まれている文明。ペルー国立トルヒーヨ大学のガブリエル・プリエト氏と米テュレーン大学のジョン・ヴェラーノ氏は、ナショナル ジオグラフィック協会の支援を受け、多分野にわたる国際チームを率いて科学調査を続けている。

 アステカ、マヤ、インカ文明に、人間を生贄としてささげる風習があったことはスペイン植民地時代の年代記に記録されており、今日の科学的な発掘調査でも詳細に研究されている。しかし、これほどの規模のものは、アメリカ大陸はもとより世界的にもほとんど類例がない。

 「こんなものを発見するとは誰も予想していませんでした」と、この地域で30年以上調査を続けているヴェラーノ氏は言う。研究チームは、今回の発見を論文にまとめ、学術誌に発表する準備を進めている。

■悲劇的な最期

 生贄の儀式が行われたのはペルー北部のウアンチャコ地方のウアンチャキト・ラス・リャマス遺跡で、海抜約300メートルの絶壁にある。遺跡の周囲には軽量ブロックでできた住宅がどんどん建設されている。遺跡から東に約800メートルのところには、チムー王国の首都でユネスコの世界遺産になっているチャン・チャンがある。その壁の向こうは現代の県都トルヒーヨだ。

生贄になった子供(左)とリャマの子(右)。西暦1450年頃、ペルーの北部沿岸地域で140人以上の子供と200頭以上のリャマが生贄として捧げられた(PHOTOGRAPH BY GABRIEL PRIETO)

 チムー王国は、最盛期には太平洋沿岸の約1000キロにわたる範囲と、現在のエクアドルとの国境リマに至る内陸の谷を支配していた。

 先コロンブス期の南米でチムー王国より大きい帝国を築いたのはインカ帝国だけである。強大なインカ軍がチムー王国を滅ぼしたのは西暦1475年頃のことだった。

 ウアンチャキト・ラス・リャマス(研究者は単に「ラス・リャマス」と呼ぶ)が最初に話題になったのは2011年のことだった。ウアンチャコ出身の考古学者であるプリエト氏のチームが、緊急発掘調査により42人の子供と76頭のリャマの骨を発見したのだ。きっかけは地元住民の言葉。プリエト氏が3500年前の寺院の発掘調査をしていたところ、浸食された近くの砂丘で人骨が露出していると教えてくれたのだ。

子供の集団生贄の跡が発掘されたウアンチャキト・ラス・リャマス遺跡の衛星画像。すぐ近くにはチムー王国の首都チャン・チャンの遺跡が広がっている(GOOGLE EARTH, 2018 DIGITALGLOBE)

 2016年にラス・リャマスの発掘が終了したときには、140人以上の子供と200頭以上のリャマの子の骨が発見されていた。骨と一緒に発見された縄や織物は、放射性炭素を利用した年代測定により西暦1400年~1450年のものであることが明らかになった。

 子供の骨にもリャマの骨にも胸骨の切断と肋骨の脱臼の痕跡が見られ、胸部を切開して押し広げ、心臓を取り出しやすくしようとしたものではないかと考えられている。

 子供とリャマの骨の近くからは3人の成人(男性が1人と女性が2人)の遺体も発見された。3人の頭部には鈍器で殴られたような外傷があり、副葬品がないことから、生贄の儀式で何らかの役割を果たした後、すぐに殺害されたと考えられている。

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