前を歩く人が邪魔に思えます
作家、石田衣良さん
歩くのが速い方です。このため、自分の前を歩く人が、常に邪魔に思えてしかたありません。広がって歩いているグループなどが前にいると、無性に腹が立ってしまいます。(東京都・男性・40代)
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東京から30分ほど電車にのってみる。横浜で下車しても街並みはさして変わりませんが、道を歩く人の速さは東京と違ってすこしゆっくりしていて、びっくりすることがあります。
これはどの地方都市にいっても感じることで、東京と同じくらい速いのは、大阪市の中心部くらいという、ぼくのパーソナルデータがあります。街の印象はその街を歩く人の速度で、かなり変わってくるのです。もちろんこの場合、速ければいいというものではありません。のんびりと過ごしたい観光地で、誰もがせかせかと速足で歩いていたら、雰囲気は台無しです。
歩くスピードが速いか遅いかというのは、人生を左右する重要な問題だとぼくは思います。誰にでも自分が心地よい、身体の造りやそのときの気分に応じた歩行速度があって、無数の人がつねに自分なりの速さでいきかっているというのが、この世界の在りかたなのです。
あなたは今、40代ですね。歩く速さには自信があるようですが、速度至上主義はもうそろそろ卒業しませんか。だいたいあなたのメールには、自分よりも遅いスピードで歩く人への気づかいや思いやりが感じられません。確かに横に広がって歩いている団体は困りものですが、そういうときはひと言「失礼」と声がけして、さっと脇をとおり過ぎれば、それで十分。いちいち腹を立てるのは、あなたが歩きが遅い人を「だらしない」「体力がない」と心のなかで切り捨てている証拠です。そうでなければ、前方を歩く人が邪魔に思えてしかたないなどという、俺様的な発言は出てこないはず。
この世界には子どもも老人も病みあがりの人も障害のある人もいます。歩く速さなど、人それぞれ以外に選びようがないのです。これは歩く速さだけに限りません。人は千差万別。頭脳の切れ、言葉の速さ、顔やスタイルに経済的豊かさなど、人には無数の違いがあります。もしかするとあなたには「もたざる遅い」人すべてを軽視するような傾向はありませんか。取り越し苦労ならいいのですが、もしそうなら猛省してください。
いつか誰にも今の速さでは歩けなくなる日がきます。だんだんと歩みは遅くなり、邪魔だと思っていた人たちよりも遅くなる日がきっとくる。その日がきても、あなたの本質的な価値は変わりません。歩く速さは人に上下をつけないのです。
[NIKKEIプラス1 2018年4月28日付]
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