早熟のピアニスト斎藤雅広 生涯現役の秘策
6歳でテレビ番組に出演し、東京芸術大学在学中は「芸大のホロヴィッツ」と呼ばれた早熟のピアニスト斎藤雅広氏(59)がプロデビュー41年目を迎えた。演奏家がひしめく日本の音楽界を「戦場」に例えるが、持ち前の親しみやすさとエンターテイナーぶりで仲間との共演も多い。老成へと向かい始める局面で生涯現役を貫く秘策を語る。
斎藤氏は幼少時から頭角を現し、6歳でNHK教育テレビの音楽番組「ピアノのおけいこ」に生徒役として出演した。プロデビューは18歳のとき。1977年の第46回日本音楽コンクールに優勝したのを機にデビューした。翌78年1月に故・渡辺暁雄氏の指揮によるNHK交響楽団との共演でデビューを印象付けた。演目はプロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26」。プロになってからもテレビ番組への出演が多い。長年にわたり人気ピアニストとしてタレント性も発揮してきた。
■超絶技巧で鳴らした「芸大のホロヴィッツ」
「最初から音楽家になると決めて、それ以外のことは何も考えずに生きてきた」と振り返る。「子供の頃からの夢がかなっている。感謝の人生だ」。父は藤原歌劇団のバリトンとして活躍した歌手の斎藤達雄氏(1926~2000年)。「父の歌の練習を聴いて育った。音楽っていいなあと思い、ピアニストになると早くから宣言していた」と話す。
東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校から東京芸大に進学し、芸大大学院を修了した。在学中の「芸大のホロヴィッツ」という異名はもちろん、20世紀最高峰のピアニストと称賛されるウラディミール・ホロヴィッツ氏(1903~89年)から来ている。「とてつもなくうまい」と周囲からほめられ続けた学生時代。高度の演奏技術を武器に超絶技巧の作品のソロ演奏で鳴らした。
今回の映像が捉えているのは、セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943年)の「13の前奏曲作品32」から「第12番嬰ト短調アレグロ」を弾いている様子だ。「小学生のときに先生から楽譜を突然もらった。本当にこんな曲を弾けるのかといぶかりながら練習し始めた。いい曲だなと思った」と回想する。芸大付属高時代には試験でもラフマニノフの作品を弾いた。すると「先生から『斎藤君、今日は良かったけれど、ポピュラー音楽はまた今度ね』と言われた」と語り、笑いが止まらなくなった。
斎藤氏はロマンチックな叙情をたたえるラフマニノフのピアノ曲への思い入れが強かった。しかし1960~70年代当時は「今と違ってラフマニノフはまだ全然マイナーな作曲家だった」と言う。「ポップスみたいな扱いをされ、試験ではベートーベンを弾くべきだという風潮があった」。彼の分厚い手のひらが鍵盤をなでる。リズムに安定感のあるアルペジオ(分散和音)から、繊細な叙情が浮かび上がってくる。
■声楽家や器楽奏者との共演にも定評
プロとしての活動を通じて、独奏だけでなく、様々な個性の演奏家との共演でも評価を高めていった。父がオペラ歌手だったためか、声楽家との歌曲の共演も多く、定評がある。
どんな楽譜でも「昔から初見で弾けた。外国人の歌手なら本公演の2日前に来日する。事前の合わせ練習でも(歌手の所望する歌曲のピアノパートを)初見で弾いた」。でも歌手は練習では声量を抑えている。「本番になって、そんな大きな声でしたか、と驚きつつも、すぐに合わせて弾いた」
最近では器楽奏者との共演も増えている。斎藤氏のピアノ伴奏で昨年CDを出したオーボエの中村あんりさんは「斎藤先生のピアノが始まると、あっという間に一つの世界に引き込んでくれる」と話す。フルートの萩原貴子さん、チェロの新倉瞳さん、クラリネットの赤坂達三氏らと共演し、CDレコーディングもしている。「自分なりの語り口で弾くこと」を共演の基本姿勢にしている。「決してリードはしない。リードしてくれと言われたらするが。基本はキャッチボール」。こうしたピアノ伴奏の姿勢が相手の演奏家の個性と美質を引き出し、共演CDの秀作を生んでいる。
「子役」の時代から活躍し続ける斎藤氏はいわばクラシック音楽界のご意見番。先輩と後輩を問わず、多数の音楽家と深い親交がある。長年身を置く日本のクラシック音楽界について聞くと、「限られた仕事の椅子取りゲーム」との答えが返ってきた。「多くの音大がある中で、どれだけの音大生がプロの演奏家になれて、しかも長く活躍できるのだろうか。クラシックの演奏家にとって日本は欧州に比べ恵まれた環境ではない」と指摘する。
「僕がポジションをとれば誰かがあぶれる。その中でいかに生き延びていくか。もう生存競争。戦場みたいなもの。いつも刀を抜いて立っているみたい。油断していたら矢が当たっちゃう」と言って笑い、頭に矢が当たったポーズをとる。「だから精いっぱいやる気持ちがないと、ほかの人たちにも申し訳ないし、生き延びてもいけない」。厳しい話に聞こえるが、本人は終始笑みを浮かべている。余裕があり、人情味にあふれ、楽天的な人柄なのだ。
親しみやすい人柄、誰もが認める高い演奏技術と音楽性は、椅子取りゲームの「戦場」で争うはずの同業者をも集める。「同じピアニストの友人が非常に多い。同業者の友達がいっぱいいるのは楽しい。同業者だから苦しみを分かり合えるし、助け合える。互いに刺激もある」。東京・渋谷生まれの都会っ子。都心の自宅周辺で音楽家どうしの宴会を繰り広げている。「ピアニストは孤独の職業みたいだけど、実は互いに友達になれるし、なったほうがいい」と説く。
■多弁のエンターテイナーがみせる繊細な感性
ピアニストどうしの仕事で旗振り役も務めてきた。「3大ピアノプロジェクトPIANO三重弾(さんじゅうびき)」というピアノ3台によるピアニストの共演企画だ。近藤嘉宏氏、松本和将氏、宮谷理香さんら著名ピアニストと共演した。杉並公会堂(東京・杉並)での同公演は2019年1月12日で10回を数え、若林顕氏、松永貴志氏、加羽沢美濃さんとともに弾く予定だ。クラシックの名曲がピアノ3台による華麗な重奏となって披露されるエンターテインメントだ。
「出しゃばりといわれるが、むしろ人見知りするほうだった。おしゃべりコンサートを無理強いされるうちに慣れてきた。今ではあいつを黙らせろと言われるほど」。磨き上げた話術を背景に、語り自体の仕事も引き受けるようになった。5月2~4日に初開催となる「ばらのまち福山国際音楽祭2018」では、ピアノ演奏に加えて司会もこなし、プロコフィエフの交響的物語「ピーターと狼(おおかみ)」のナレーションにも挑戦する。
多弁なエンターテイナーぶりを発揮しているかにみえる斎藤氏だが、ピアノ演奏では繊細な感性、デリケートで内省的な面をのぞかせる。デビュー40周年を前に2016年12月に出したCD「メランコリー」(発売元 ナミ・レコード)は、夢の詩のような、愛奏してきた小品を集めた。「僕を長年応援してくれた(ピアニストの)中村紘子さんが亡くなり、追悼の思いも込めてレコーディングした」と話す。
40周年記念として今年1月に出したCD「ナゼルの夜会」(同)では、得意のスクリャービン「ワルツ変イ長調作品38」、プーランク「ナゼルの夜会」、シューマン「謝肉祭」を収め、演奏活動の総決算といった趣だ。特にプーランクとシューマンの作品では、変奏や小品が次々に表情を変えて登場し、軽やかな機転と洗練の中に深い情熱を注ぎ込んだ感動的な演奏だ。
今後の抱負を聞くと、「死ぬまで弾き続けたい。より長く、より良く弾き続ける」と答えた。自分の世界があり、多くの仲間がいる。「戦場」が宴会の場に変わる。生涯現役への秘策がここにある。愛され続ける技を持つピアニストが音楽の輪を広げる。
(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)
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