早熟のピアニスト斎藤雅広 生涯現役の秘策

2018/4/28

ビジュアル音楽堂

6歳でテレビ番組に出演し、東京芸術大学在学中は「芸大のホロヴィッツ」と呼ばれた早熟のピアニスト斎藤雅広氏(59)がプロデビュー41年目を迎えた。演奏家がひしめく日本の音楽界を「戦場」に例えるが、持ち前の親しみやすさとエンターテイナーぶりで仲間との共演も多い。老成へと向かい始める局面で生涯現役を貫く秘策を語る。

斎藤氏は幼少時から頭角を現し、6歳でNHK教育テレビの音楽番組「ピアノのおけいこ」に生徒役として出演した。プロデビューは18歳のとき。1977年の第46回日本音楽コンクールに優勝したのを機にデビューした。翌78年1月に故・渡辺暁雄氏の指揮によるNHK交響楽団との共演でデビューを印象付けた。演目はプロコフィエフの「ピアノ協奏曲第3番ハ長調作品26」。プロになってからもテレビ番組への出演が多い。長年にわたり人気ピアニストとしてタレント性も発揮してきた。

超絶技巧で鳴らした「芸大のホロヴィッツ」

「最初から音楽家になると決めて、それ以外のことは何も考えずに生きてきた」と振り返る。「子供の頃からの夢がかなっている。感謝の人生だ」。父は藤原歌劇団のバリトンとして活躍した歌手の斎藤達雄氏(1926~2000年)。「父の歌の練習を聴いて育った。音楽っていいなあと思い、ピアニストになると早くから宣言していた」と話す。

東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校から東京芸大に進学し、芸大大学院を修了した。在学中の「芸大のホロヴィッツ」という異名はもちろん、20世紀最高峰のピアニストと称賛されるウラディミール・ホロヴィッツ氏(1903~89年)から来ている。「とてつもなくうまい」と周囲からほめられ続けた学生時代。高度の演奏技術を武器に超絶技巧の作品のソロ演奏で鳴らした。

今回の映像が捉えているのは、セルゲイ・ラフマニノフ(1873~1943年)の「13の前奏曲作品32」から「第12番嬰ト短調アレグロ」を弾いている様子だ。「小学生のときに先生から楽譜を突然もらった。本当にこんな曲を弾けるのかといぶかりながら練習し始めた。いい曲だなと思った」と回想する。芸大付属高時代には試験でもラフマニノフの作品を弾いた。すると「先生から『斎藤君、今日は良かったけれど、ポピュラー音楽はまた今度ね』と言われた」と語り、笑いが止まらなくなった。