
では、表面を焼くのはなぜだろうか? これは焼くことで硬い皮が柔らかく食べやすくなり、同時に生臭さが消えておいしくなるからだ。
では木ではなくワラであぶるのはどうしてなのだろうか。ワラには少々の油分が含まれるため、燃やすと火力が強くなる。火力が強ければ加熱時間が短時間で済むため、外側だけをサッとあぶり、中はレアのままで味わいたいタタキに適している。さらにワラのよい香りがカツオにもうつる。だから木ではなくワラで焼くことにも意味があるのだ。また、あぶることで余分な水分が抜け、味が濃厚になるため、食味もよくなる。
カツオのタタキはいつどのようにして誕生したのだろうか。発祥に関しては諸説ある。ひとつには漁師のまかない料理から誕生したという説。もともと漁師が釣ったばかりを塩で食べていたことが発祥だという。カツオは鮮度が命で足が早い魚だが「塩タタキ」は鮮度が良くないとおいしくはならない。シンプルゆえに味のごまかしがきかないからだ。タタキが塩で食べられるのは鮮度がいいカツオが手に入る土地だからこそだ。

ワラ焼きされるようになったことを説明する説としては、土佐藩主・山内一豊が発祥に関わっているとする説がある。藩主・山内一豊が土佐に転封になったのは慶長6年(1601年)のこと。もともと土佐の漁師はカツオを生で食べていたが、土佐藩にやってきた山内一豊がこれを見て、当時多かった生魚による食中毒を恐れ、生食を禁止。刺し身ではなく焼いて食べるようにお触れを出した。
漁師たちは殿様のいうとおりにカツオを焼いて食べたが、たくさん焼いた中に最後まで火が通っていないレアなものが混ざっていた。「せっかくだから切って食べてみよう」と食べてみたところそれが大変おいしかった。そこからワラ焼きが誕生したという説だ。表面だけでも焼いてあるからには「一応焼き魚」なのである。ちなみに薬味にニンニクを添えるのも殺菌効果があるからだという。この説によればカツオのタタキにはおおよそ400年余の歴史があるということになろう。
他にも戦国大名の長宗我部元親が四国を平定する途中に浜にあがったカツオを焼いたとか、カツオ節を作るときに残った部位を串に刺して焼いたとか、高知にやってきた西洋人が鯨肉をレアに焼いてステーキにした調理法をまね、応用したという説もある。