『徹子の部屋』が42年愛される理由 今も生放送感覚
1976年2月にスタートした『徹子の部屋』(テレビ朝日系)は、初回の放送から42年間黒柳徹子が司会を務めている、いまや貴重な帯のトーク番組。長きにわたって愛され続けている理由はどこにあるのか。

長寿番組の代表格といえば、『徹子の部屋』だ。2015年5月に放送回数1万回を突破し、ギネス世界記録にも認定された。
単独司会者の帯番組をなぜここまで続けてこられたのか。プロデューサーの田原敦子氏は、「徹子さんご自身の、どんな人に対しても興味を持つ好奇心が番組を支えています。あとは、番組のスタイルを変えないことも、長く続ける秘訣かもしれません」と語る。
まずは誰をゲストに呼びたいか、ADからプロデューサーまでが平等に候補を出し合う。それを吟味してゲストを決めたら、ディレクターが事前に会いに行き、どのような話が聞けそうかをリサーチする。「毎週金曜が、徹子さんとの打ち合わせの日で。そのときに、ゲストの担当ディレクターが1時間くらいずつかけて、人となりや話題について、徹子さんにプレゼンするんです。毎週7人ずつ収録しているので、担当者が入れ替わり立ち替わり7人分。お昼頃から22時くらいまではかかります」(田原氏、以下同)
番組のこだわりの1つに、編集をしないことがある。黒柳は、テレビの生放送時代を長く経験しており、「話を切って、いい所だけをつなげるやり方はゲストに失礼」という考えから、その方針を貫いているそうだ。「そのための準備は、徹子さんも抜かりなくて。打ち合わせで徹子さんはメモをしていて、週末にそのメモを切り張りしながら、構成を考えてくるんです。構成作家のような役割も徹子さんがしている感じです」
収録は月曜と火曜で、月曜に3人、火曜に4人撮影する。CMが入る時間も、生放送と同じように1回トークを止める。「エンディングで『♪ルールル』と音楽が流れると、みなさんホッとされます。ただ、ここが『魔の30秒』と言われていて、結構徹子さんがむちゃ振りするんです(笑)。大泉洋さんは『じゃあモノマネして、田中角栄!』と言われてました(笑)」
エンディングでむちゃ振り

『アメトーーク!』で「徹子の部屋芸人」企画が生まれたり、今でこそ親しみの持てる番組になったが、田原氏が担当するようになった15年前は、状況が違っていた。視聴率が落ち込み、改革が必要な時期だったという。「『徹子の部屋』は、それまで報道局の番組だったんです。私が異動したのと同時に、バラエティー班になって。当時、何となく風通しが悪いというか、長く続いている番組なのに、ポスター1枚なくて、これは変えなければいけないと思いました」
ゲストは、伝統芸能の人や芸術家が中心だったが、宣伝部と連携して、新ドラマに出演する旬の俳優をキャスティングしたり、お笑い芸人も呼ぶようになった。「徹子さんは落語がお好きで、『今のお笑いはつまらないわ』と言っていたんです。なので、『つまらないと言っていただいて構いませんから』と(笑)。そのうちに、率直にものを言う徹子さんが『面白い』となり、若い人にも注目してもらえるようになりました」
長年築いた信頼関係から、病気を告白するゲストがいたり、マイク眞木と前田美波里のように、元夫婦がそろって出演したりと、『徹子の部屋』ならではのエピソードには今も事欠かない。一時は低迷したが、番組内容は変えずとも、見せ方やアピールの仕方を柔軟にしたことで風向きが変わった。地位のある長寿番組でもさらに成長できることを示した好例だ。
(ライター 内藤悦子)
[日経エンタテインメント! 2018年4月号の記事を再構成]
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