焼失しなければ世界遺産? 悲しきシドニーの「宮殿」
もう見られない偉大な建造物
建造物のなかには、古くから存在し、これからも長く残したいものがある。だが、残念ながらすでに消失し、写真でしかその姿を拝むことができないものもある。ナショナル ジオグラフィックの書籍『消滅遺産 もう見られない世界の偉大な建造物』は、もはや目にすることができない、世界から消えてしまった歴史的建造物を、当時の写真でめぐる一冊だ。ここではその中からシドニー万博の「ガーデンパレス」を紹介しよう。
火事で失われた万博会場
19世紀末、世界の先進国は競って万国博覧会を開催した。自国の経済力、工業や製造業の威力、農業の豊かさ、工芸や芸術を世界に示す絶好の機会だったのだ。1851年、世界で初めての万博がロンドンで開催されてから、ニューヨーク、ウィーンなどが続いた。
ロンドン万博では、鉄骨にガラス張りという前代未聞の水晶宮(クリスタルパレス)が話題を呼んだ。閉会後に移築されたが、最終的に火事で失われている。1889年のパリではエッフェル塔が建てられ、現在でもパリを象徴する建物として人気の観光スポットだ。
シドニー万博は、1879年9月17日に開会した。当時、シドニーとメルボルンが先を争って万博の開催を企てていたが、南半球で初の博覧会開催という栄誉はシドニーが勝ち取った。この会場として建てられたのが、ロンドンの水晶宮を参考にしたガーデンパレスだった。
ガーデンパレスは、鉄やガラスを駆使し、十字架の形をした大聖堂のようなつくりの建物だ。建物の長さは244メートル、中央のドームは直径30メートル、高さ65メートル、十字架の端にある4本のタワーはシドニーのどこからも見えたそうだ。タワーの一つにはシドニー初の油圧エレベーターが設置された。
シドニー万博には7カ月の間に100万人が訪れた。万博後、ガーデンパレスは政府機関の事務所として使用されたり、晩餐会、会議所、展覧会が催されたりした。
しかし1882年9月22日の早朝、ガーデンパレスは炎に包まれ、数時間で全焼してしまう。木材を多く使用していたために火の回りが早く、地下に貯蔵された多くの公文書、先住民の工芸品などが失われた。放火の疑いが強いが、原因はいまだに解明されていない。
シドニー万博の翌年、1880年にはメルボルンで万博が開かれた。このとき建てられた王立展示館はユネスコの世界遺産に登録され、現在でも見ることができる。ガーデンパレスの原型であるロンドンの水晶宮は火事で失われても語り継がれているが、悲しいことにシドニーのガーデンパレスは人々の記憶からも消えてしまった。
ガーデンパレスがあった万博会場は現在、広大な王立植物園として市民の憩いの場となっている。次ページで、ガーデンパレスの貴重な写真とイラストをさらに3点紹介しよう。
[書籍『消滅遺産 もう見られない世界の偉大な建造物』を再構成]
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