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今、バーボンウイスキーの黄金時代 二度の逆境を克服世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(14)

禁酒法でアメリカンウイスキーは一時衰退する=PIXTA

東部13州からケンタッキー、テネシーに広がったアメリカのウイスキー産業は黄金期を迎える。南北戦争(1861-65)を乗り越え、発展を続けるアメリカのウイスキーに必要とされたのは安さと量であった。1831年にパテントを取ったイーニアス・カフィの連続式蒸溜機も間をおかずにアメリカで導入された。

この繁栄が暗転する日が来る。禁酒法の施行である。元々、イングランドでもスコットランドでもアイルランドでも教会が中心となった節酒運動はあった。ではなぜアメリカで禁酒まで行ったのか。一つはアメリカで飲まれていた酒類構成である。ドイツ系の移民が興したビール産業は発展途上、ワインは輸入ものが主体という中で大量に飲まれたのが度数の高いウイスキーであった。

ウイスキー業者はその繁栄により得た莫大な利益を賄賂に使い、あらゆるダーティーなビジネスに手を出し、稼ぎに稼いだ。酒と言えば深い酩酊(めいてい)をもたらし、社会正義に反するダーティーなウイスキーという認識が瞬く間に広まった。こうして、政府と癒着した業者が高をくくっている間に、禁酒運動はその性格を変えていく。

酒の害を防ぐことに付加して、腐敗したウイスキー業者への反感、社会の矛盾に対する怒りが入り混じり、酒の害から個々人の人格やモラルを対象とする運動になっていったのではないかと考えている。酒の製造、販売は禁止されたものの、酒の所有や消費は禁止されていないこと、一人当たりのスピリッツ消費量が常識では考えられないほど増えたことからも禁酒法の本質がうかがえる。

1920年から33年の禁酒法時代は、アメリカンウイスキー衰退の第一の波であった。薬用ウイスキー製造許可交付を受け、禁酒法時代も生産を続けられた6社といえども、生き残ったのはたった1社のみである。ましてや他の会社が無傷の訳はなかった。一部の会社を除けば、待っていたのは買収であった。超大手4社、すなわちナショナル・ディスティラーズ、シェンレー、ハイラム・ウォーカー、シーグラムに、禁酒法を生き延びた蒸溜所やブランドの4分の3以上が吸収されていった。この4社にしても、現存する会社は1社もない。

ウイスキー業界は変転を重ね、2000年にはアメリカ産ウイスキーの全てが、合計8社が保有する13蒸溜所のどれかで蒸溜された原酒で賄われるようになっていた。

「DBA」という表示がある。また、「NDP」という表示もある。前者は「doing business as」の略であり、後者は「non-distiller producer」の略である。

前者は、あたかも独立した会社のようにブランドを立ち上げ製品を出すやり方で、消費者の誤認を招くのを防ぐための表示である。

後者については、日本でなじみのない会社を例に取って説明しよう。アメリカ最大級の蒸溜所の一つにインディアナ州ローレンスバラにあるミッドウエスト・グレーン・プロダクツ・イングリーディエンツがある。実はこの蒸溜所の原酒は、資本関係のない会社の何百種類ものウイスキー製品に使われている。このような製品がNDPであり、このような原酒の調達法を「ソーシング」または「契約蒸溜」と呼ぶ。実は、アメリカンウイスキーの特徴の一つが外部原酒に依存した製品づくりである。

場当たり的な商品戦略などで、バーボンは再び衰退=PIXTA

1945年から60年までは穏やかな回復をみせたアメリカンウイスキーであったが、1960年を境に低落が始まる。代わりに伸びたのがスコッチウイスキーであり、カナディアンウイスキーであった。さらにホワイトレボリューションと呼ばれるテキーラやウオツカといったホワイトスピリッツ全盛の時代が来る。

低落の原因には、原酒の多様性の不足や、脈絡なく出したライトウイスキーに代表される場当たり的な商品戦略があったとされている。禁酒法の影響で在庫原酒が払底した業界は、廃止後、量の確保に走ったが、その中で画一性のわなに落ちたとも言われている。

ライトなテイストの個性不足のウイスキーが増えた。アメリカンウイスキー衰退の第二の波であった。

低落は、1990年ごろまで続いた。大手メーカーはリストラを行い、商品開発にはブレーキを踏んだ。歴史のある蒸溜所がいくつも倒産し、貴重なレシピは見捨てられ、失われた。

しかし、新たな息吹も生まれていた。先に1997年にバーボン蒸溜所を訪問したことを紹介したが、そのころのバーボン業界は、既に元気さを回復し様々なチャレンジの時代に入っていた。私が呼ばれたのも、技術情報交換のためだった。単式蒸溜器による3回蒸溜の蒸溜所が開設したり、樽熟成多様化により、様々なニュアンスを持った製品を出したりと、ウイスキー好きにはたまらない状況が現れつつあった。印象に残ったのは、業界内の仲の良さで、技術情報についてもオープンに交換し合っていた。私も工程診断を依頼され、改善提案をして、大いに喜ばれた。

1997年から20年が経過した。大きな動きはクラフト蒸溜所の増加で、現在全米で1,000カ所を超えたと言われている。蒸溜所の新設もケンタッキー州を中心に相次いでおり、ケンタッキー州のウイスキー原酒在庫レベルは過去最高に迫ろうとしている。

バーボン製造法の枠を超えた開発生産、商品化も活発に行われている。クラフト蒸溜所では創意工夫を凝らした様々な品質チャレンジが日々行われている。例えばスコッチタイプの製造法へのチャレンジである。スコットランド、ハイランドで多くの密造業者が腕を競ったことをほうふつとさせる。様々なバックグラウンドを持ったつくり手が乾坤一擲、自分の夢に挑戦する。まさにアメリカンドリームである。

大手ウイスキー会社傘下の蒸溜所でのトライアルもどんどん切り込みが深くなってきている。アメリカンウイスキーは今やとても楽しみなカテゴリーになってきた。日本のインポーターも増えてきた。ウイスキー好きにとってはたまらない時代が巡ってきている。

前回ライのおいしさを知ることはウイスキー飲みの楽しみの一つと申し上げた。今回お奨めするのは小麦のインパクトの確認である。

メーカーズマークは、小麦を原料に使用する

バーボンの原料面での縛りはとうもろこし51%以上である。通常バーボンではとうもろこしを70%前後、15%前後は大麦麦芽を入れる。残りの常連はライ麦だが、代わりに小麦(wheat)を使うマッシュビル(原料配合割合)のものが「Wheated Bourbon」とも呼ばれているバーボンだ。現在大手4蒸溜所と10以上のクラフト蒸溜所から製品が出ている。

小麦使用のバーボンが初めて登場したのは1849年と言われているが、このタイプに特化して全米で最も長い年月製造してきたのが「メーカーズマーク」で、マッシュビル(70:16:14)も公開している。そのオリジナルのマッシュビルを1954年の稼働開始以来今日まで60年以上守り通し、1種類の原酒のみをつくり続けてきた。そのマッシュビルにたどり着くまでに、当時のオーナー、ビル・サミュエルズの妻マージは、150種類を試した。マッシュビルに基づいてパンを焼き、そのパンの味わいで選んでいったそうだ。

このウイスキーの持つ品の良い甘味、バニラ、ナッツ、カラメル、焼きたてのパン、フルーツなどの心地酔い香味。どこまでも滑らかな飲み口と気持ちの良いスパイシーが残る後口。

実はマッシュビルだけではない、この味わいをつくり込むために、例えば小麦の風味を生かすための特別な糖化醪づくり、樽成分の過度な溶出を避けるための業界最低の55%という樽詰度数など、正に手づくりが行われている。アメリカンウイスキーの持つ奥の深さを味わっていただきたい。

(サントリースピリッツ社専任シニアスペシャリスト=ウイスキー 三鍋昌春)


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