「食べる温泉」 舌で味わう名湯、地物引き立てる塩味
魅惑のソルトワールド(12)

日本全国が大寒波に見舞われた先週。都心でも氷点下の朝を迎え、水道管が凍って水が出ないなどの被害も相次いだようです。肌が痛いと感じるほどのりんと澄んだ冷たい空気は久しぶりに体験しました。
こんな時期は、ゆっくり温かいお湯につかりたいもの。もちろん、自宅の湯船にお湯を張って、好きなバスソルトやアロマを入れてリラックスタイムを過ごすのも良いのですが、やっぱり恋しくなるのが、温泉です。とはいえ、近くに温泉が湧いているなんて方は、そんなに多くはないと思います。そこで今回は、気分だけでも温泉を楽しんだ気になれるように「食べられる温泉」をご紹介したいと思います。
「食べられる温泉」ってなに?と思うかもしれませんが、実はそんなに珍しいことではありません。

みなさん、温泉に行った時に「飲泉」という単語を見かけたことはありませんか? 「飲泉」とは、その文字の通り「泉(温泉)を飲む」こと。日本ではそんなに歴史は古くないようですが、ドイツ、イタリア、フランスなどのヨーロッパ諸国では、飲泉が身体に良い作用ともたらすということから、はるか昔から盛んに行われてきました。さらに、温泉医学の研究では、飲泉することによって、胃腸などの内臓に対して、入浴するのと同じような作用があるということが明らかになっているそうです。
今回ご紹介するのは、日本各地で生産される「温泉からできた塩」です。塩として摂取する量は多くはないので、飲泉のような効能が得られるとは限りませんが、ぜひ温泉気分を味わってみてください。

塩化ナトリウムを含む温泉のことを「塩化物泉」や「食塩泉」と呼び、実は日本で一番多い泉質で、高い保温効果が人気です。数千万年以上前の海水が地下の帯水層にたまったものが地上に湧き出してきたもので、塩分濃度は1%を切るようなごく薄いものから、海水(約3.4%)を超えるような濃いものまでさまざまです。
塩化物泉がある目安としてわかりやすいが地名で、たとえば長野県の鹿塩温泉や福島県の大塩温泉のように、地名に「塩」がついていて温泉が湧いているところは、そのほとんどが塩化物泉です。しかし、ごく一部の例外を除いて、海水よりは塩分濃度が薄い場合がほとんど。製塩効率が非常に悪いため、すべての塩化物泉で塩を作っているわけではありませんが、いくつかの温泉地では、温泉水を原料とした製塩が行われ、地元の名産品やお土産品として販売されています。
海水から製塩する場合との最も大きな違いは、地下に長期間堆積してから地上に湧き出てくるため、土壌に含まれるさまざまな成分の関与を受けやすいということです。できあがる塩は、海水からできる塩に比べてよい意味での雑味があり、味に厚みや奥行きがある場合が多くあります。そして、近隣の山で獲れた肉やきのこなどの「山の物」や、魚だったら「川魚」と相性が良い場合も多く、同じ土壌に育てられたもの同士の相性の良さを感じることができます。
それでは、いくつか代表的な「温泉塩」をご紹介しましょう。

国産の温泉塩の中では最も有名かもしれません。南アルプスの山間に位置する大鹿温泉にある旅館「山塩館」が製塩を行っています。海水よりも塩分濃度の濃い温泉水が湧くため製塩効率はよく、薪で炊いた平釜で煮詰めて濃縮・結晶させている。まろやかなしょっぱさと、グルタミン酸をほうふつとさせるしっかりした濃厚なうまみが特徴。
かつてはそのおいしさと希少性から、大正天皇への献上品にもなりました。塩おにぎりや、トマトなどグルタミン酸を多く含む野菜にかけるのがおすすめ。

「塩」とつく地名が多い会津地方。1200年前に弘法大師が開湯したと言われている大塩裏磐梯温泉が有名です。塩分濃度は1%以下と非常に薄い上に、冬は豪雪に見舞われ氷点下の中、温泉水を沸騰させないといけないため、海水からの製塩に比べた時の効率の悪さは筆舌に尽くしがたいものがあります。しかし、物流が発達していない時代に、海のないこの地で塩が作れるということは非常に重要であったため、かつては塩づくりが盛んに行われていました。
江戸時代には会津藩に上納され、明治時代には皇室に献上されたという記録も残っていますが、物流の発達とともに製塩業は衰退。戦時中に、海辺を避けた日本軍がこのエリアで塩を作ろうと試みたりということがあったようですが、塩分濃度のあまりの薄さに断念したそうです。こうして塩づくりは一度途絶えてしまいましたが、戦後、街づくりの一環として、有志の手によって2007年に復活しました。
現在は企業組合という形で製塩を行っています。ほどよいしょっぱさで、鉄のような酸味と、強いミネラル感があります。ローストビーフや、地鶏などの身がぎゅっとしまった鶏肉との相性が良い塩です。

駿河湾を臨む西伊豆の堂ヶ島にてドライブインや遊覧船を運営していた会社が、松崎町三浦地区で温泉を掘削したところ、なんと5本もの源泉を掘り当てました。それ以来、約40年もの間、5つの温泉を運営管理している同社が、温泉に湧く食塩泉をくみ上げ、それを海水とブレンドしてから平釜で煮詰めて濃縮・結晶させています。
原料となる温泉水に含まれるカルシウムが多いからか、しょっぱさはまろやかで、強い苦味と雑味を感じます。釜揚げしらすや山菜のてんぷらなど、苦味を楽しむ食材や料理との相性が良い塩です。

370年もの歴史を誇る長崎県の小浜温泉に湧く食塩泉は、その温度が約105℃と、世界で一番高温であることでも知られています。1日の湧出量はなんと1万5000トンにも上り、あまりの多さに使いきれず、3分の1はそのまま海に戻されている状態です。かつてはその豊富な湯量を利用して、海岸沿いには枝条架式塩田がずらりと並び、塩の一大生産地でしたが、あまりにも組み上げすぎたため源泉が枯渇の危機に見舞われ、塩づくりは中断されることになりました。

時は流れ、その高温で豊かな湧出量に目を付けたのが、「塩の宝石」を生産する雲仙エコロ塩の先代でした。ジオパークにも認定されているこの地の美しい環境を守るため、CO2の排出量を極限まで減らす製法を考案。食塩泉と地元の橘湾の海水をブレンドし、高温の源泉で湯煎のようにして温めて濃縮・結晶させたあと、天日で干して完成させます。強めのミネラル感と、少しピリッとするしょうがのような印象があるこの塩は、白身魚の塩焼きやゆで卵、甘酒や冷やしあめにおすすめ。

美しいリアス式海岸を臨む、熊本県立自然公園の中に位置する御立岬で、地下1000メートルから組み上げた食塩泉を原料にした塩づくりが行われています。その名も「塩(えん)むすび館」と名付けられたその施設では、温泉水から作る塩づくりも体験することができます(要予約)。
環境に配慮し、併設の温泉センターからでる排熱を利用して、食塩泉を濃縮・結晶化させています。ナトリウムの構成比が低く、その分カルシウムを多く含むため、さすようなしょっぱさがなく非常にまろやかです。豆類や、アイスクリームなどの乳製品との相性が良い塩です。

最後にご紹介するのが、新潟県で創業90年を迎えた乾麺の老舗が手掛ける温泉塩です。
どこの温泉水から作っているのかは明かしてもらえず、インターネットで検索をしても情報が出てこないという、非常に謎の多い塩です。薄く黄色く色づいているのは、少量の鉄分が塩分に反応したものか、炭酸水素イオンを多く含むか、硫黄が含まれているかのいずれかと推測されます。力強いしょっぱさと強い苦味と雑味があるので、油っこい料理と合わせてあげると、脂っこさを緩和してくれます。
今回は6種類の温泉水からできた塩をご紹介しましたが、日本各地の食塩泉では、まだまだたくさんの塩が生産されています。温泉水の生産量はどこも非常に少なく、現地でしか流通していないものも多くありますので、温泉地に旅行に行った時には、ぜひ「ご当地温泉塩」にも目を配ってみてくださいね。
(一般社団法人日本ソルトコーディネーター協会代表理事 青山志穂)
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