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会津、明治維新より「戊辰150年」 長州になお遺恨?

2018/2/6

「白虎隊」の墓がある会津若松市の飯盛山(2018年1月23日)

 今年は「明治維新150年」を記念する行事が各地で開かれますが、この響きに違和感を持つ人もいます。東北地方など、1868年に起きた戊辰戦争で新政府軍と戦って敗れた藩があった地域に住む人たちです。特に戊辰戦争の激戦地だった旧会津藩では今も遺恨が残っているといわれています。

 旧会津藩の城下町、福島県会津若松市。市内には「維新」ではなく「戊辰150周年」ののぼりが立っています。「維新より戊辰のウエートが大きい」。6代にわたり市内に住む小林輝雄さん(68)は街の雰囲気を語ります。自身は戊辰戦争で敵対した旧長州藩の山口県にわだかまりはありません。ただ政府軍に故郷が踏みにじられた話は祖母らから聞いています。小林さんは「当時を根に持つ人のことも理解できる」といいます。

 会津では少年兵「白虎隊」などを含め2500人以上の兵員が戦死したと伝えられています。会津若松市の教育長を務めた宗像精さん(84)は「戦いに負けただけでなく、『賊軍』の汚名を長く着せられたのが問題だ」と今も憤慨しています。

 賊軍とは政府軍の「官軍」に対する呼び方です。日本思想史を研究する京都造形芸術大学の野口良平さん(50)は「新政府軍が内戦に勝つため用いた『官軍と賊軍』という区分けが、戊辰戦争後も教育などの場に用いられたのが遺恨の要因になった」と分析しています。

 遺恨は解きほぐせないのでしょうか。山口県萩市の内科医、山本貞寿さん(78)は昨年11月に宗像さんを萩市に呼んで講演してもらいました。「会津人の本音を聞くことから始めたい」という思いからです。宗像さんは講演で「史実を考慮すると仲直りはできない」と訴えました。「会津の悲惨な歴史をなかったことにするだけでなく、(1600年の)関ケ原の戦いの雪辱を果たした長州人の思いにも背く」と考えたからです。

 それでも山本さんと宗像さんは「民間の交流を通じて仲良くすることはできる」という認識では一致しています。実際、11年の東日本大震災後には萩市から会津若松市に義援金が届き、両市の高校が共同制作した歌を合唱したこともありました。

 1月22日、両市の関係者が驚く出来事がありました。山口県が地盤の安倍晋三首相が国会での施政方針演説で、会津出身で東京帝国大学の総長になった山川健次郎に触れたのです。山川は白虎隊の出身ながら明治政府に登用され、貧しい若者や女性の教育を後押ししました。

 「首相には『会津は賊軍でなかった』と明言してもらいたい」と宗像さんは期待します。150周年の今年、雪解けは進むでしょうか。

■宗像精・会津藩校日新館館長「歴史を消すことはできない」

 ならぬことはならぬ――。宗像精さん(84)は会津藩校日新館の館長として全国の子どもたちに会津藩士の教えを伝え続けています。安倍首相が年始の演説で言及した元白虎隊士、山川健次郎を顕彰する会の会長も務める宗像さんに、戊辰戦争150年に寄せる思いを聞きました。

 ――2017年11月に旧長州藩の山口県萩市を訪れて講演したそうですね。

「虚言(うそ)をいう事はなりませぬ」など会津の教えを伝え続ける宗像精さん。

 「会津と長州は仲直りはできないが、仲良くはできると訴えた。戊辰戦争で薩長は目的のために手段を選ばず、権謀術数の限りを尽くした。官軍と賊軍という区分けもその中から生まれたこと。結果的に勝った薩長が官軍、負けた会津が賊軍となったが、長州も一時は賊軍だったし、会津が朝敵となったことはない。だから双方とも賊軍などと言ってはいけないのに、会津だけが長く賊軍の汚名を着せられた。そういう歴史の事実を消すことはできない。歴史をなかったことにして握手する仲直りはできない」

 ――それでも仲良くはできるというのはどうしてでしょうか。

 「心ない人間は会津にもいるし、長州にも立派な武士はいた。私が萩を訪れたのは会津人の思いを伝えるためと、山川健次郎の学業を助けた長州藩士の奥平謙輔と前原一誠の墓参りをして感謝するためだ。両氏の子孫は丁寧に出迎えてくれ、萩の人の誠実さと優しさを感じた。恨みつらみばかり言っても仕方ない。会津も長州も一緒に、世界のために貢献していかなければならないときだ。だから仲直りや和解などとは言わず、民間レベルで黙って仲良くしていけばいい」

 ――首相が演説で山川健次郎に言及したことをどう捉えましたか。

 「どういう意図なのかは分からないが、会津人の反響は大きい。150年の節目に際して、安倍首相に『会津は賊軍でなかった、朝敵でもなかった』とぜひ明言してもらいたい」

 ――故郷の歴史はどのように語り継いでいくべきでしょう。

 「私は歴史家ではないが、小学生時代に会津が賊軍だったと教える歴史の教科書を使わされた。親からは『会津は悪くない』と教えれたものだから、どうしても薩長憎しという感情が残った。戦後の教科書からはそのような記述は消えたが『勝てば官軍、負ければ賊軍』という歴史のとらえ方は今も残っている。会津は賊軍ではなかったし、朝敵でもなかった。その歴史的事実が確かめられるのを見届けてから、あの世に行きたい」

(高橋元気)

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