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専業主婦から転じてANAインターコンチネンタルホテル東京の副支配人になった経験を持つ薄井シンシアさん(Waris提供、工藤朋子撮影)

専業主婦から転じてANAインターコンチネンタルホテル東京の副支配人になった経験を持つ薄井シンシアさん(Waris提供、工藤朋子撮影)

キャリアはハシゴではなく、ジャングルジムである――。米フェイスブックのシェリル・サンドバーグ最高執行責任者(COO)の言葉だ。出世の道はかつて直線的なはしごのようだと思われていたが、様々なルートを通じて高みを目指すジャングルジムのようなものへと変わりつつある。そんなキャリアを体現する一人が薄井シンシアさんだ。娘の大学進学を機に専業主婦をやめて働き始め、「給食のおばちゃん」や「電話受付のアルバイト」などを経て、勤続3年で高級ホテルの副支配人にスピード出世した。現在は専業主婦の再就職を後押しするなどマルチな活動を展開している彼女のエネルギーの源は?

◇  ◇  ◇

ほんの数年前まで専業主婦でした。出産を機に離職してから17年間、私の履歴書は空白でした。

2011年7月に52歳で日本に帰国し、最初につかんだ仕事は時給1300円のアルバイト。それが高級ホテルの仕事につながり、勤続3年で副支配人にもなりました。別のラグジュアリーホテルでの勤務を経て、18年1月からは日本コカ・コーラの「東京2020オリンピック ホスピタリティ」担当として働いています。

そればかりではありません。17年11月には、女性の再就職を支援する「Waris(ワリス)ワークアゲイン」事業の戦略顧問にも就任。私と同じように、働きたい専業主婦を後押しする活動もしています。18年3月からはニューヨーク大学プロフェッショナル教育東京で、観光・ホテル業界に再就職したい専業主婦向けの講座も担当する予定です。

私がなぜ、ほんの数年間でこんなキャリアをつかむことができたのか――。そのコツをこれからお話します。

最初に就いた仕事は時給1300円のアルバイト

50歳を超えた私が日本で働くには大きく分けて2つの壁を乗り越える必要がありました。1つは「社会の壁」。暗に存在する年齢制限やキャリアブランク、専業主婦への偏見です。

日本語も英語も得意だった私は当初、外資系企業を中心に職探しをしましたが、どこも門前払い。日本に進出するカフェの店員にも申し込みましたが、それも門前払いされてしまいました。ようやく見つけたのは、ある高級会員制クラブの電話受付。時給1300円のアルバイトでした。

若い頃にバリバリ働いていた人ほど、「時給制のアルバイトで働くなんて嫌だ」と思うでしょう。私も47歳の時、娘が通っていたバンコクのインターナショナルスクールのカフェテリアで時給制の「給食のおばちゃん」として働き始めた際には、「どうして?」と娘に聞かれました。

入り口はなんでも良かったのです。とにかく働き始めさえすれば、次のステップに進む道はあると思っていました。

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