中世「黒死病」の感染経路 ネズミではなかった?
中世の欧州やアジアで大流行し、多くの人々の命を奪ったペスト。その原因であるペスト菌は、ネズミによって拡散されたと長い間信じられてきた。だが、犯人は別にいたようだ。主にヒトに寄生するノミとシラミが細菌を媒介していた可能性がある。
この点を示唆する論文は、2018年1月15日付の科学誌「米国科学アカデミー紀要(PNAS)」に発表された。それによると、欧州の人口の3分の1が死亡した「黒死病」と呼ばれる14世紀のペストの大流行を含め、14世紀から19世紀初頭まで続いた世界的流行では、主にヒトに寄生するノミとシラミが細菌を媒介していたと考えるほうが、感染拡大のモデルに一致するという。
「疫病は、人類の歴史を大きく変えてきました。ですから、どうやって拡大したのか、なぜあれほど速く拡大したのかを知ることはとても重要なのです」。ノルウェーにあるオスロ大学生態学進化学統合センターの博士研究員で、論文の筆頭著者であるキャサリン・ディーン氏はいう。
現代の伝染病よりはるかに速く拡大
ペスト菌Yersinia pestisを媒介するのはノミだ。感染したノミが人間を刺すと、菌が血管に侵入する。現代で多い症状は、菌が人体の各所にあるリンパ節に集まり、その部分がひどく腫れあがる腺ペストと呼ばれるものだ。
19世紀後半から現在までの流行例(2017年にはマダガスカルで流行)では、ネズミやその他のげっ歯類が菌を拡散させていることが知られている。ネズミがペスト菌に感染すると、そのネズミの血を吸ったノミに細菌が移る。感染したネズミが死ぬと、宿主を失ったノミは次に人間を襲うというわけだ。
このように、現代の流行がネズミによるものという点と、中世のペスト犠牲者の遺伝子を調べた研究結果から、多くの専門家が中世の世界流行もネズミによってもたらされたと考えている。
しかし、黒死病の感染経路は別だったと主張する歴史家もいる。根拠のひとつは、黒死病が現代のどの伝染病よりもはるかに速く欧州に広がったことだ。加えて、現代のアウトブレイクの前には、ネズミの大量死がしばしば確認されているが、中世で同様にネズミが大量死したという記録は残されていない。
「遺伝学者や現代史の専門家は、ネズミを大流行の犯人に仕立て、証拠の断片をゆがめてしまっているのです」と、ネズミ=ノミ説に懐疑的な英グラスゴー大学の中世史専門家サミュエル・コーン氏は語る。
ネズミ=ノミか、ヒト=ノミ・シラミか
ならば、黒死病はいかにして広がったのか。以前から、ネズミではなくヒトに寄生するノミが原因だったと考える学者もいた。感染した人間から血を吸ったノミやシラミがペスト菌も一緒に吸い取り、すぐ近くにいる別の人間に飛び移れば、その人間も感染する。
数理的には、ネズミ=ノミとヒト=ノミ・シラミの場合では病気の広がり方が異なるため、ディーン氏のチームはそれぞれにおける感染拡大のモデルを作成した。
「基本的には、数字の処理です。シミュレーションのなかで、人々がどのように移動するかを見ます」。論文の共著者であるボリス・バレンティン・シュミッド氏はそう語る。シュミッド氏は、オスロ大学の計算生物学者で、ディーン氏の研究のアドバイザーでもある。
これらのモデルで何度も計算を実行したディーン氏とシュミッド氏は、中世の流行中に欧州で発生した9回のアウトブレイクによる死亡パターンに一致するのはどのモデルであるかを、統計的に評価した。すると意外なことに、調査対象になった9カ所の都市のうち7カ所で、ネズミ=ノミよりもヒト=ノミ・シラミの方が死亡の記録と一致したのである。
「そもそもアウトブレイクはなぜ起こったのかという根本的な問題に取り組んだ、大変すばらしい研究です」。米国にあるアルゴンヌ国立研究所のシステム科学者で感染症拡大モデルに取り組むチャールズ・マカル氏は、この研究を評価してそう述べた。同氏は今回の研究には関与していない。
ディーン氏とシュミッド氏は、さらに多くの実験データを集めて、モデルを改善する余地があるとしている。また、この研究が疫病研究者の間で論争を呼ぶだろうということも認めている。なかには、ネズミが中世のアウトブレイクを引き起こしたと言って譲らない学者もいる。
「ペストに関しては、たくさんの論争があります」というが、ディーン氏とシュミッド氏は、自分たちは客観的な立場にいるとしている。「私たちは、このことで得もしなければ損もしませんから」
(文 Michael Greshko、訳 ルーバー荒井ハンナ、日経ナショナル ジオグラフィック社)
[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2018年1月18日付]
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