ご当地カツライス 丼でも定食でもない、独自の存在感
カツ丼礼賛(11)
前回、デミグラス系ソースのたっぷりかかった愛媛県今治市のカツライスを紹介したが、カツライスというメニュー名でカツカレーのようなビジュアルの地域が複数存在する。今回はご当地カツライスを紹介していくのだが、その前に呼び方の境界線が微妙な、各地のどんぶりメニューと皿盛りメニューを見てみよう。
今治では、どんぶりにのったカツにデミグラスソースがかかればカツ丼、皿盛りのご飯の上のカツにソースがかかればカツライスだ。以前紹介した岡山県のデミカツ丼はどんぶり、兵庫県加古川のかつめしは皿盛りと、どんぶり飯か皿盛りかで呼び方が変わっている。
ややこしいのは皿盛りでありながらカツ丼と呼ばれる地域が存在することだ。
新潟県長岡市、福岡県大牟田市の洋風カツ丼は皿盛りなのにカツ丼と呼ばれる。皿盛りのご飯にとんかつがのり、デミグラス系ソースがかかる形で、ソースに多少の違いがあるが、加古川のかつめしとも同系のタイプだ。
石川県の金沢市には皿カツ丼というメニューがある。皿+丼である。こうなるともはやなんだか訳がわからなくなってくるが、その正体は皿盛りのご飯の上にとんかつ、上からあんかけがかかる、といったスタイル。どんぶりに盛ればあんかけカツ丼になる。
ちなみに金沢には野菜カツライスというメニューもある。とろみのある野菜いためが皿盛りのご飯とカツの上にかかるというものだ。皿盛りのあんかけ系ながらこちらはカツライスと呼ばれている。こう見てくるとメニュー名というのは結構自由だなという気がしてくる。
というわけでカツ丼とカツライスの呼び名の微妙な関係に悩みつつ、カツライスの話を始めよう。そもそも首都圏ではカツライスととんかつ定食との違いははっきりしない。まずは老舗のとんかつの名店、東京の「銀座 梅林」のカツライスを紹介する。
こちらは昭和2年創業の老舗で、銀座で初めてのとんかつ専門店。メニューにはカツライスの他にロースかつ定食がある。違いを聞いてみるとカツの厚さや重さが違うとのこと。ただとんかつより肉の量が少ないのがカツライス、というだけではないような気がする。
とんかつの発祥となるポークカツレツが生まれた銀座に立地するお店である。洋食の流れをくむカツライスらしく、とんかつ専門店でありながら付け合わせにはスパゲティナポリタンが添えられている。カツライスがとんかつよりやや薄いのは、とんかつより薄かったナイフで切り分けて食べたポークカツレツの名残りではないかと考えた。
現在のカツライスは昔のポークカツレツのように薄いわけではなく、しっかりたたいた柔らかい肉にサクサクの衣をまとわせている。かけるソースはポークカツレツの時代に定番であったウスターソースではなく、とんかつソースのようなトロみのあるソース。これを生みだしたのもこのお店だそうだ。大衆食堂でも見られるカツライスとは一味違うとんかつ専門店の正統派のカツライスである。
さて前回紹介した愛媛県今治市のデミグラス系ソースのたっぷりかかるカツライスは現在でも複数の店で食べることができる。明治25年ごろ創業の「かねと食堂」はうどん屋から始まった老舗食堂で、こちらでもカツライスがいただける。
カツライスはご飯、カツにたっぷりとデミグラスソースがかかるなかなかの迫力。サラダとともに福神漬けが出されるので、ご飯に添えていただく。今治ではカツライスには、カツカレー同様、福神漬けがつくのが定番のようだ。
続いて他の地域のカツカレーと似たソースたっぷりのカツライスも紹介していこう。まずは島根県松江市のカツライスだ。洋食の流れをくむカツライスという料理は、松江の老舗洋食店のメニューにもあった。
「レストラン西洋軒」は昭和7年創業で、松江で最初にできた老舗洋食店。カツライスはたっぷりのデミグラスソースがかかっているが、創業以来作り継がれている歴史と伝統のソースで実にうまい。洋風カツ丼というメニューもあり、カツ丼にハヤシルーがかかるというもの。こちらにも自慢のデミグラスソースが使われているという。
同じく松江の「お食事処ふの」は昭和43年創業。庶民派の食堂のような風情だが、自家製デミグラスソースをたっぷりかけたカツライスは人気の逸品だ。器を覆わんばかりのカツにたっぷりのソース。洋食メニュー的な付け合わせにもお店の歴史を感じる。
ところで「お食事処ふの」にはカツ丼も人気メニューとしてあるのだが、これが東海地方から西に散見されるふわトロ系玉子の後のせカツ丼なのだ。洋のデミソースのカツライスと和のだしのしっかり効いたカツ丼のどちらも侮れない完成度。住宅地にあり、次の若い代への引き継ぎも順調な隠れた名店だ。
松江にはほかにもカツライスを提供するお店が複数店あったようだが、残念ながらここ数年でかなり閉店してしまったそうだ。もう少し早く食べに来ていれば、と残念な思いだが、松江の食文化として続いてほしいものの一つである。
さて地域としては今治、松江に加えて大阪・西成地区にもカツライスがある。いやむしろ歴史的には最も古い。なにしろ発祥は昭和6~7年頃といわれている。発祥の店は「大井食堂」。現在は閉店しているが、直系のお孫さんがされている店が「大井」だ。
カツライスはとんかつにデミグラスソースがかかり、細かく刻まれた福神漬けが添えられる。カツは12に切られ食べやすくなっている。加古川も縦に切られるだけではなく、横にも切られていたが、上下は2等分。3等分はみたことがない。ちなみに並べてみるとカツカレーとのビジュアルはよく似ている。
ポークカツレツがとんかつになったといわれているのが昭和初期の上野近辺。同じ時期に大阪で、ビーフかポークかは定かではないがカツレツがカツライスとして誕生しており、現在も残っていると考えると、なかなかに歴史ロマンを感じる話だ。
加古川ではカツにデミグラスソースというスタイルはかつめしと呼ばれるが、カツライスと称する店もある。昭和49年創業の老舗喫茶店「エデン」だ。創業時からのメニューである牛カツライスだが、かつめしだと女性が頼みにくいだろうからとカツライスにしたのだとか。喫茶店と称しているが正統派のカツライスがいただける。
先日、新潟県妙高市でデミカツライスを複数店みつけた。カツにデミグラス系のソースがかかるのはカツハヤシというのもあるが、これは個店メニューでしか確認ができていない。カツライスをはじめとするデミグラス系ソースのかかるカツ系メニューは、なかなか謎が深い。引き続き研究していきたい。
(一般社団法人日本食文化観光推進機構 俵慎一)
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