エンタメ!

エンタな話題

不寛容・虚妄の連鎖と闘う言葉 2017年演劇回顧

2017/12/26

アヴィニョン・フェスティバルで上演されたSPAC『アンティゴネ』では無音の盆踊りが演出に取り入れられた(写真 新良太)

 演劇は社会を映す鏡。かのシェークスピアはそう考えたそうだ。17世紀のロンドンにあった本拠の劇場の名はグローブ座、これを地球座と訳すこともある。「世界はすべて舞台」といった賢者の言葉が命名をうながしたとされる。超大国の指導者が激烈な言葉を発し、反発した相手が聞くもおぞましい言葉で応じる。そんな「世界」の今は、虚構であるはずの舞台にも映りでずにはいない。

■宮城聡演出、めざましい成果

 2017年をふりかえれば、最もめざましい活躍をみせたのは演出家の宮城聡だった。SPAC(静岡県舞台芸術センター)の芸術総監督に就任して10年、地方都市で鍛えあげた専属劇団がフランスの世界的演劇祭アヴィニョン・フェスティバルのオープニングを飾った。法王庁の主会場に招かれたのは、アジアの劇団では初めてのことだ。

 栄誉もさることながら、より重要だったのはギリシャ悲劇『アンティゴネ』(ソポクレス作)を通して「死者はみな仏」という東洋の死生観を打ち出したことだ。ふたりの兄が王位をめぐって相打ちとなり、王たる叔父は反逆者側の兄の埋葬を禁じる。妹のアンティゴネは禁をおかして「反逆者」の埋葬を断行、すすんで死を選ぶ。そんな古代の物語に無音の盆踊りと精霊流しの静かな演出が加えられた。敵も味方もない死者の国から、現世の争いの無意味さに光があてられたのである。テロの恐怖にさらされる欧州で、不寛容の連鎖に否定の問いかけを発するこの舞台は「亡霊の国を思い起こさせる」(フィガロ紙)などと称賛された。

 ニースで悲惨なテロがあっただけに南仏の警備はものものしかった。が、芸術祭という文化の解放区はしたたかに健在だった。欧州の芸術祭の多くは悲惨な世界大戦の反省から生まれた歴史があり、異文化を受け入れる寛容さを大切にする。芸術文化の領域で自由な表現を確かめ合う欧州の底力。そこで一神教のキリスト教やイスラム教と異なる世界観を提示した演出家の気迫。東京五輪を前にした日本に必要なのは、文化の壁を越えるこうした芸術祭の理念だろう。

 宮城はSPACが静岡で上演したシェークスピアの後期ロマンス劇『冬物語』でも、憎しみの物語に終止符を打つ秘蹟(ひせき)を印象深く舞台化した。SPACの舞台では、文楽の太夫と人形がそうであるように、語りと俳優の演技が別々に表現される。ある言葉が俳優の体を動かし、ある言葉は動かさない。それが人間の心を動かす真の言葉と虚妄の言葉との闘いを思わせたのだった。

 歌舞伎座で初演出した『マハーバーラタ戦記』(青木豪脚本)でも、古代インドの膨大な叙事詩から、争いをとめるカルナという役柄をクローズアップした。演じる尾上菊之助は「争いのはかなさを悟る熊谷陣屋との共通性や現代的なテーマを感じる」と受けとめた。言霊が俳優に宿る仮名手本忠臣蔵の大序を取り入れ、SPACの無国籍音楽をも大胆に取りこんだ歌舞劇には新鮮な驚きがあった。歌舞伎もまた、世界を映す鏡たり得るのだ。

■戦争、高齢化、震災…時代と切り結ぶ

 演出家を育てているのは、衰退が指摘されるとはいえ、やはり既成劇団だ。文学座の上村聡史、高橋正徳、生田みゆき、俳優座の眞鍋卓嗣ら30代から40代にかけての演出家たちが時代と切り結ぶ仕事を見せたのは、特筆に値する。

 ことに上村は先の戦争と向き合った日本人の姿をなぞるように、戦後戯曲と向き合った。劇団で演出した2作のうち真船豊の『中橋公館』は終戦1年後の作だが、久しく上演されなかった。北京で終戦を迎えた日本人一家の引き揚げにいたる波乱の日々を生々しく描いていた。もうひとつの『冒した者』は、三好十郎が敗戦の混乱と絶望を東京を舞台にえぐりだした作。ともに過去の言葉が生々しくよみがえる。新国立劇場で演出した安部公房の『城塞』も満州(中国東北部)からの引き揚げが題材であり、上村は戦争が軽い言葉で語られる現在の風潮に鋭い矢を放ったといえるだろう。

 同じく文学座の高橋正徳は、滞在型創作を進める岐阜県の可児市文化創造センターで松田正隆の旧作『坂の上の家』を演出した。長崎大水害の喪失感を家族劇に映しだす戯曲だが、高橋演出は背景にある被爆者の心を濃厚にすくいあげ、作品世界を広げてみせた。東京芸大大学院音楽研究科出身の生田みゆきが劇団で初演出した『鳩に水をやる』も、高齢社会の悲しみを軽妙にとらえていた。ノゾエ征爾の書き下ろし戯曲から機知に富んだテンポをひきだし、セリフを音楽的に構成したセンスは注目されよう。

エンタメ!新着記事

ALL CHANNEL