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ブレンドこそ、スコッチの粋 グレーンウイスキー誕生世界5大ウイスキーの一角・ジャパニーズ(10)

現在のスコットランドの蒸溜所=PIXTA

スコットランドでもスタイン家は、蒸溜所に最新工業技術を取り入れ、生産量とコストを大幅に改善するかと思えば、その売り先をイングランドにまで広げるなど活発な企業活動を続ける。その結果、一族はケネットパンズ以外にキルバギー、キンケープル、ハットンバーンの計4蒸溜所を保有し、業界での地位を盤石にした。

このスタイン家と相並ぶ存在となっていったのが、日本でもかつて親しまれたブレンデッドウイスキー「ヘイグ」を生み出したヘイグ家である。

1751年に、スタイン家とヘイグ家の間に婚姻が成立する。その後、スタイン家とヘイグ家は世代ごとに何組もの婚姻を繰り返し、1802年にはジョン・ヘイグが誕生する。このジョンが今日のスコッチウイスキー隆盛の基礎をつくったと言ってもよい人物だ。

ヘイグ家は、スコットランド最古のウイスキーの名家と呼ばれている。1655年に、安息日に蒸溜作業をしたとして、先祖が教会の集会で糾弾されたという記録が残っており、この記録が「最古の名家」の由縁になっている。その先祖は、オランダで蒸溜技術を学んだと言い伝えられている。

フォース湾にかかる鉄道橋、世界遺産のフォース橋=PIXTA

ジョンは連続式蒸溜機の威力と課題を正確に予測していた。生産能力が高いが故に、グレーンウイスキーが超過剰となる事態である。実際1830年代以降、スタイン家、ヘイグ家の後を追うように、続々と連続式蒸溜所が開設され、大変な事態となった。

新設が集中したのは、両家の蒸溜所を囲むようにエディンバラからフォース湾、フォース川の北側までの古来より北海貿易でオランダを始め、北海沿岸との交易があった地域であった。

ジョンは、蒸溜所間での生産量と価格の調整に走り回り、市況を安定させることに成功する。これにより、業界のスポークスマンとして政府に対しても強い発言力を持つに至った。

その彼が1865年に組織したのがスコッチディスティラーズ・アソシエーションである。モルトとグレーンの混和が法律で正式に認められた1860年から間もなくのことであった。

モルトとグレーンを組み合わせる=PIXTA

同社は1877年には、グレーンウイスキー全生産量の75%を押さえたスコッチウイスキー最強の会社DCL(ディスティラーズ・カンパニー・リミテッド)へと発展する。

こうしたグレーンウイスキーの供給量調整・安定供給こそ、味わい豊かに育ってきたハイランド、スペイサイド、アイラなどの様々なモルトの力を発揮できるブレンデッドウイスキーの発展に大きく寄与したと考えている。個性豊かで様々な味わいを持つがモルトを組み合わせ、モルトに比べピュアで飲み易いグレーンウイスキーで溶いてやることで、飲み易さと香味の豊かさ・複雑さの両方を満たすことができるのである。

グレーンウイスキーは、誕生当初は安さと飲みやすさで、その後は樽熟成による味わいの付加や二日酔いになりにくさなどをセールスポイントに拡販に努めた。しかし常に過当競争に苦しんでいた。その厳しい状況下、ジョンの業界調整が功を奏して、投げ売りや香味料混和による粗悪化などから救われたのだ。

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