「お手を拝借、よぉー」の後は? 宴会の締め

宴会シーズンたけなわ。散会の時には手締めをすることも多いだろう。では幹事が「一本締めで」と声を掛けたらどう応じるか。昨今、多く見かけるのは、「いよー、ちゃん」と手を1回たたく方式だ。しかし「一本締め」は元来、「いよー、ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃちゃちゃん、ちゃん」と全部で10回たたく。「誤解」の広がりは、一本締めの伝統のある地域でも例外ではない。
東京・神田。隔年の神田祭では、みこしの上げ下げのたびに威勢のいい一本締めが街に響く。祭り以外の各種行事でも、締めは一本と決まっている。同地区鍛冶町2丁目の平野恵一町会長は、3・3・3・1の一本締めを、「三が三つで九(苦)。最後のちゃんで点を入れ、苦を払って丸くなる」と解説する。そうならば、「いよー、ちゃん」では丸く収まらない。「いよー」は「祝おう」が語源という。
ところが、地元住民でなく、神田や近隣の大手町の職場で働くサラリーマンなどに聞くと、1拍方式の手締めを「一本締め」と理解している人は極めて多く、「一本締め」と「三三七拍子」との混同もある。神田祭を長年研究している田畑秀二氏(江都天下祭研究会・神田倶楽部会長)は「三本締めは、3・3・3・1を3回繰り返すのだから、その3分の1である一本締めは、『ちゃん』だけでは終わらないはず」と強調する。
一本締めの来歴は実はよく分かっていない。冠婚葬祭などで行われる三本締めを略式にしたものとされるが、町人の文化だけに記録が少ないのが実情だ。ただ伝統的に、鳶(とび)職人の世界で、労働歌である木やりに引き続いて行われてきた。そこで、きちっと締めたい時には、一本締めの前に木やりが入ることもある。
神田の地域情報紙「神田画報」を編集・発行する立山西平さんによると、明治8年9月の新聞に「東京各区の鳶頭は滞りなくお目出たいと三囲へ群衆して祝詞の掌打をなし」といった短い記述が見える。「掌打」は手締めのことのようだ。多少まとまった記述は、わりと最近の「鳶頭政五郎覚書・とんびの独言」(山口政五郎著、1996年)。鳶頭の山口氏は同書で「"九に点"で漢字の"丸"を表す」などと説明、「手一つだけ打って"ちゃん"で終わってしまったり(中略)するのがあるけど、いただけない」と述べている。
一方、「一丁締め」などと呼ばれる1拍方式の普及の理由は「プロ野球のキャンプ終了時の1拍の手締めがテレビ放送されたことやテレビドラマの影響」との説が有力だ。一本締めと一丁締めの違いを講演などでの話のマクラに使う古手の証券マンは「テレビの影響もあって、1980年代初めごろから世間に広まったようだ」と話す。ちなみに、東京・深川の生まれ育ちで一本締めが当たり前だったこともあり「甲府支店に勤務したとき、一丁締めが『一本締め』と誤解されていて驚いた」のがマクラにするきっかけだ。言葉のように簡略化が世の流れなら、今後は1拍方式が主流になるのかもしれない。

しかし、ブランド力のある神田には伝承の地域力を示す動きも見える。区立千代田小学校では近年、運動会の最後に一本締めを行う。廃校になった区立練成中学校の跡地は、民間運営の文化活動拠点になったが、その名称の「アーツ千代田3331」は一本締めのリズムが由来だ。近年増えている新築マンションの新住民の子供らも「祭りをまね、一本締めもしている」(町関係者)という。神田明神の清水祥彦権宮司は、新旧住民のコラボで「一本締めの心意気の文化を継承してほしい」と期待する。
手締めには地域バラエティーもある。東京都内でも八王子市では3・3・3・1方式だが、神田よりテンポがゆっくりしている。あきる野市の旧五日市町地域では、祭礼などでは3・3・1の「五日市締め」が慣例だ。さらに地域を広げると大阪の天神祭などで打たれる「大阪締め」や福岡・博多の「博多手一本」がある。どちらも2拍、2拍、3拍のリズムで3拍の最後に独特の間があるのが特徴だ。しかも博多手一本では、打ち終わった後、さらに拍手を重ねることはご法度とされている。
ただ、これらの地域などでも1拍方式が浸透中だ。地域の伝統と、メディアが広げる画一的な文化とのせめぎあいが、手締めという習慣にも見え隠れしている。(シニア・エディター 三科清一郎)
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