巨匠ラドミル・エリシュカ 日本での指揮活動に幕引き札幌交響楽団と最後の定期演奏会、25分余の拍手と歓声

楽員退出後、何度も一人で呼び出された(2017年10月28日、札幌コンサートホール=提供・札幌交響楽団)
楽員退出後、何度も一人で呼び出された(2017年10月28日、札幌コンサートホール=提供・札幌交響楽団)

86歳のチェコ人マエストロ(巨匠)のラドミル・エリシュカが今年10月末、日本の指揮台に別れを告げた。あれから1カ月が過ぎても「エリシュカロス」の喪失感が消えないほど、北から南までの音楽ファンに愛された存在だった。

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2004年に73歳で、遅ればせの日本デビュー。2年後に初共演した札幌交響楽団(札響)とは瞬時に「相思相愛」の仲となり、首席客演指揮者(08年~)、名誉指揮者(15年~)を歴任した。今年3月にも札幌、東京でブラームスの「交響曲第1番」の輝かしい名演奏を達成したばかりだが、帰国後に体調を崩した。主治医は「もはや長時間のフライトに耐えられない」として日本への客演に待ったをかけた。エリシュカは「全く無名だった私に素晴らしい音楽の機会を与え続けてくれた人々に対し、直接お別れの言葉を述べることなく去るのは失礼極まりない」といい、ひと夏を費やしてリハビリテーションに励み、10月28日の札響定期を日本での引退演奏会と定めた。

過去14シーズンに日本で共演したオーケストラは札響、NHK交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団(東フィル)、東京都交響楽団、読売日本交響楽団、東京佼成ウィンドオーケストラ、名古屋フィルハーモニー交響楽団(名フィル)、京都市交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団(大フィル)、日本センチュリー交響楽団、九州交響楽団。14年3月には東京芸術劇場主催の第3回音楽大学フェスティバルで、首都圏8校の音大生の選抜オーケストラも指揮した。

マエストロにとって日本最後となった17/18年のシーズンは、10月19~20日に大阪フェスティバルホールの大フィル第512回定期演奏会を指揮した後、27~28日が札幌コンサートホールKitara(キタラ)の第604回札響定期というスケジュール。新日本フィルハーモニー交響楽団との初顔合わせなど、来シーズン以降の客演日程はすべて、キャンセルとなった。

ちょうど1年前、「まだ現役指揮者として一夜の演奏会を振りおおせる力があるうちに、世界で最も自分の音楽を愛してくれた日本の人々の前で引退する」と決め、名誉指揮者の称号を持っていた名フィルと生涯最後の演奏会を行ったハンガリー系イスラエル人のマエストロ、モーシェ・アツモンも1931年生まれで、エリシュカと同い年だった。まだ旧ハプスブルク文化圏の一体感が残っていた時代の中欧に生まれ、第2次世界大戦中の独ナチス政権によるホロコースト(大量虐殺)、戦後の東西冷戦の時代を生き抜いてきた世代だ。エリシュカも共産主義政権の時代には冷遇され、コンサートホールのスターではなく、プラハ音楽アカデミーの指揮科で33年間、レッスンプロ(94年からは教授)の地位に甘んじていた。

04年の初来日時、東京・大久保のホテルで日本で最初のインタビューの機会を得た。「ビロード革命」(89年)前に刷られた発色の悪いチェコ語のプロフィルを渡され、ドイツ語でとつとつと語ったところでは、「私が担当する5つのクラスで最も優秀な学生を尊敬する先輩、ヴァーツラフ・ノイマンの特別クラスへ送り込む使命に喜びを感じていた」という。「みな経歴に『ノイマンに師事』とだけ記し、私の名前まで書く生徒は、ごく少数だったね」。95年にノイマンが亡くなり、01年に自身が70歳になったとき、「指揮活動を本格的に再開したい」と願ったが、時代は大きく変わっていた。

そのころ、チェコ音楽に造詣の深いNHKの音楽プロデューサーがドヴォルザーク没後100年を記念した放送録音と演奏会を企画。チェコの楽団に所属する日本人奏者に指揮者の人選を相談すると「知名度は低いし若くもないが、厳格なトレーニングで確実にオーケストラの音を変えられる実力者がいる」との答えが返ってきた。それがエリシュカだった。初来日時に東フィル、名フィルと収めた録音、録画を見た当時の札響音楽監督、尾高忠明が「間違いなく本物のマエストロだ」と直感し、同響への客演が実現した。

06年12月8~9日、札響第494回定期での初共演はスメタナの「交響詩『ボヘミアの森と草原から』」、ドヴォルザークの「交響詩『金の紡ぎ車』」、R(リムスキー)・コルサコフの「交響組曲『シェエラザード』」の3曲。01~13年にチェコ・ドヴォルザーク協会の会長を務めるなど、「お国もの」の解釈の確かさは2年前の放送録音でも明らかだったが、ロシア管弦楽法の大家リムスキーの名曲に遺憾なく発揮された巨匠芸が楽員、聴衆の心をわしづかみにした。

以後、40回以上の共演を通じ、ドヴォルザークの「交響曲第5~9番『新世界より』」、チャイコフスキーの「交響曲第4~6番」、ブラームスの「交響曲第1~4番」、スメタナの「交響詩『わが祖国』全曲」など、多くの素晴らしいライブ録音を発表してきた。

大阪フィルハーモニー交響楽団第512回定期演奏会では独唱、合唱とともに、ドヴォルザークの「テ・デウム」を指揮(2017年10月19日、大阪フェスティバルホール=提供・大阪フィルハーモニー協会)

一方、大フィルはドヴォルザークの「スターバト・マーテル(悲しみの聖母)」のライブ録音も残すなど、エリシュカと相性がいい楽団だった。最後の定期もドヴォルザーク特集。後半の「交響曲第6番」は十八番(おはこ)だが、前半の「『伝説曲』より第1~4曲」と「テ・デウム」(ソプラノの木下美穂子、バリトンの青山貴、福島章恭指揮大阪フィルハーモニー合唱団と共演)は何と、演奏会で初めて振る作品。最後まで攻めの姿勢を崩さなかった。

エリシュカの指揮芸術の基本は派手な名人芸を避け、「楽譜に忠実に」をモットーとした新即物主義(ノイエ・ザハリヒカイト)の世代に属する。厳しく入念なリハーサルを重ね、「作品にふさわしい音」を究めていく。長く指揮法のプロフェッサーだったので棒さばきに曖昧さがなく、右手で拍をとりながら、左手で次の展開も示すので、オーケストラの「弾き間違い」が少ない。その上で「民族固有のリズム・節回し」「作曲当時の時代精神」といった楽譜に記されていない部分に、魂を吹き込む。大フィルの弦にも独自の透明感が加わり、チェコ音楽のニュアンスを細やかに再現できたのは、ひとえに「エリシュカマジック」の反映だ。客席は熱狂した。

日本での最後の演奏を終えた瞬間(2017年10月28日、札幌コンサートホール=提供・札幌交響楽団)

そして文字通り最後の最後、10月28日のキタラには開演前から、ただならないエモーションが渦巻いていた。前半はスメタナの「歌劇『売られた花嫁』序曲」とドヴォルザークの「チェコ組曲」。後半は当初、ベートーヴェンの「交響曲第3番『英雄』」の予定だったが、R・コルサコフの「シェエラザード」に変わった。「英雄」の第2楽章「葬送行進曲」を「最後の演奏会には不吉過ぎる」と、マエストロ自身が嫌ったとか諸説が流れたが、足かけ14年にわたる共同作業のリングを「恋」におちた最初の作品で閉じたいとの気持ちが強かった、というのが真相だろう。

序曲の冒頭から気迫のこもった響きがキタラに広がった。ふだんケバケバしく演奏されがちな「シェエラザード」ではブルックナーを思わせる巨大かつ深遠な音楽が聴衆を圧倒する。拍手と歓声は25分以上続き、楽員が退出した後もマエストロひとり、何度も舞台へ呼び戻された。定期会員、楽員、定宿ホテルの従業員までが感謝の寄せ書きを贈り、それぞれに別れを惜しんだ。

舞台そでにしつらえた物故楽員、石原ゆかりさんの遺品

舞台そでにはチェコ留学後に札響へ入団、エリシュカと楽員の架け橋として尽くしながら3年前、53歳で亡くなったヴァイオリン奏者の石原ゆかりさんの楽器、マエストロのサインが入ったTシャツ、譜面台が置かれ、ステージマネジャーが1曲ごとにパート譜を置きかえた。終演後に「祭壇」の存在を知らされたエリシュカは深々と頭を下げ、後日、念願だった墓参りを夫人とともに果たした。

今年5月31日、後輩でチェコ・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督・首席指揮者のイルジ・ビエロフラーヴェクががんとの闘いの末、71歳で亡くなった。エリシュカは「私が日本の土を最初に踏んだときは73歳。ビエロフラーヴェクさんはその年齢より若くして世を去ったのだから、本当に残念。私がこの十数年、日本で授かった様々な演奏の機会を振り返れば、彼にももっともっと、できることがあったはずだ」と、悔やんでいた。札響との演奏、舞台での歓声のすべてが消え、キタラを去る場面では楽屋まわりに残った楽員、私たち関係者の一人ひとりの顔をじっと見すえ、固く握手を交わした。「もう、この人たちと音楽の時間を共有することができないなんて……」。言葉は名残惜しそうでも、表情は晴れ晴れとしていた。

(コンテンツ編集部 池田卓夫)

交響曲第5番(チャイコフスキー)

演奏者 : 指揮:ラドミル・エリシュカ 管弦楽:札幌交響楽団
販売元 : SPACE SHOWER NETWORK
価  格 : 2,571円 (税込み)



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