草笛光子さんに聞く ミュージカル創生期(井上芳雄)第10回

日経エンタテインメント!

井上芳雄です。11月7日に『レジェンド・オブ・ミュージカル in クリエ』の第1回を催しました。毎回ミュージカル界のレジェンドをお迎えして、日本のミュージカル創生期の話を、僕がホストとしてうかがう企画です。記念すべき1回目は草笛光子さんに来ていただきました。「ミュージカルは好きな人がやらないとだめよ」という言葉が印象的でした。「私だって、好きじゃなきゃ大変でやらないでしょう」とも。日本にミュージカルを持ち込んだ当時の方たちの情熱をひしひしと感じました。

11月7日にシアタークリエで開催された『レジェンド・オブ・ミュージカル in クリエ Vol.1』の出演者。右から井上芳雄、草笛光子、島田歌穂(写真提供/東宝演劇部)

近年はミュージカルがブームといわれていて、僕自身もそう感じます。ミュージカル映画が大ヒットして、人気ミュージカルのチケットは完売、2.5次元という新しいジャンルも出現しました。この状況をありがたく思うたびに、日本でミュージカルがここまで大きくなるのに、どれだけの情熱が注がれたのか。創生期に活躍された方々のお話をじかに聞いて、こんな作品があった、こんな苦労をされた、こんな喜びがあった、ということを知りたいと思っていました。僕が大好きな劇作家の井上ひさしさんが、「過去を軽んじる者は未来に裏切られる」と言われています。過去を知ることは、未来を考えることでもあるのです。レジェンドの方々から聞いた話が、いずれ日本のミュージカル界をもっと大きくしたり、新しい日本のミュージカルを誕生させる原動力につながるかもしれないと考えて、今回の企画を始めました。

草笛さんは、日本のミュージカル創生期の大スターです。東宝が初めて海外ミュージカルを上演したのが1963年の『マイ・フェア・レディ』。草笛さんはその翌年の64年、『努力しないで出世する方法』から東宝ミュージカルに出演されて、数々のヒロインを演じられました。『キス・ミー・ケイト』『ラ・マンチャの男』『王様と私』『ピピン』『ラ・カージュ・オ・フォール』など、たくさんの名作に出演されています。

もともとは松竹歌劇団(SKD)の出身ですが、東宝のプロデューサーで演出家、脚本家として有名な菊田一夫先生に誘われて、東宝ミュージカルに出演するようになります。

当時のエピソードとして、こんな話をしてくれました。マイクは小さな懐中電灯くらいのサイズで、それを衣裳の胸のあたりにはさんでいたそうです。重くて、舞台で歩いているとポトンと落とすこともあり、すると「卵を産んだ」と言われたそうです。汗をかいたら感電して、痛いのを我慢して歌っているうちに火傷をしたこともあるとか。今のマイクは小さくて目立たないし、電気が通ることもありませんから、技術の進歩を感じました。

NYで見た『ラ・マンチャの男』に衝撃

『ラ・マンチャの男』はニューヨークでご覧になり、魂を奪われるほどの衝撃を受けたそうです。ミュージカルといえば、明るく楽しいというイメージだった時代に、シリアスで複雑な構造のこの作品を見て夢中になり、宿屋の下働きで売春婦のアルドンサ役をやりたいと熱望しました。女優をやめようと思われていた時期だったそうですが、この役と出合って思い直したという、転機となった作品です。ところが実際に演じてみると、初演はトリプルキャストで、シングルの役の人の3分の1の時間しかお稽古ができずに初日を迎えた。それが、とてもつらかったとおっしゃっていました。

僕は、その話が心にしみました。ニューヨークで見て、あこがれた役をいざ日本で演じてみたら、楽しくてしようがない、というのじゃなかった。つらくて大変だったというのは、とても真実味があります。