田中角栄や本田宗一郎も 銀座で背広を仕立てる男たち

2017/11/28
本田宗一郎氏

「寸法を測ると左腕より右腕の方が1.5センチメートルも長く、年齢が60歳代半ばとは思えないほど肩幅に厚みがありました。現場で鍛え上げた体という感じでしたね。黒の生地をさっと決めるとすぐ帰っていかれて、店での滞在時間が全部で30分足らずだったのも驚きでした。ほかのお客様は大体ゆっくり1時間近く時間を過ごしていきます」

――仕立て方にも色々と注文はありましたか。

「まず背広のポケットチーフの山の部分の高さを、いつも同じにしろということでした。これは手作業だけでは意外に難しい(笑)。思い切ってポケットチーフをボール紙に縫い付けて胸ポケットからのぞいている高さ、形を一定にできるように工夫しました」

「冬のワイシャツはボタンの隙間から寒風が吹き込んで寒い場合があります。そこで本田さんの提案でファスナーで締めるワイシャツを作ったことがあります。形だけボタンも付けたので見かけはそれまでのワイシャツと変わりません」

■細部にこだわった本田宗一郎氏

「ズボンも『日本人は右利きが多いから右のポケットの入り口を大きく浅く使いやすくしてくれ』との意見をお持ちでした。ズボンのチャックは本田さんから『短くて下ろしにくい』との注文を受けて、それまでの26センチから29センチに長くしました。このアイデアはそのまま英国屋の定型となりました。」

――本田氏から厳しいクレームが付いたことはありませんか。

銀座英国屋に残る本田宗一郎氏の型紙

「ある時に銀座の事務所に呼び出されて『同じ寸法、同じ型なのに着心地がそれぞれ違うのはどういうことだ!』と叱られました。本田さんは1度に数着注文します。生地や個々の縫製職人の縫い方で微妙な違いが出てきます。しかし本田さんは『自分はクルマはみな同じになるように製造している。1台だけネジやピンの場所が違ったりしていたら、乗っているお客の命にかかわる場合があるんだ!』と厳しく怒られました」

「ただ叱るのは営業の私にだけで、同行した工房の職人には一切声を荒らげることはしませんでしたね。技術者を大事にしているんだなと感じました。スーツ以外のことにも色々話をうかがえたのは幸せでした」

「本田さんは『危険』に対して敏感でした。炭鉱の事故で死者が出たときは『ロボットを開発して作業にあたらせるべきだ』『一番危険が少ないのは交差点がない空中だからジェット機をいずれ造る』といったようなことを息子のような年齢の私に話してくれました。『ホンダジェット』などホンダのニュースを読んでいると、本田さんのDNAが受け継がれているのかなと思ったりもします」

――市川さんは本田氏の右腕、副社長を務めた藤沢武夫氏も担当しました。

藤沢武夫氏

「入社2年目の68年から『藤沢番』を務めました。実は『本田番』より早いのです。藤沢さんも1度に数着オーダーしましたが、それぞれの縫製職人による着心地の違い、技の違いを楽しむ方でした。六本木の現在の東京ミッドタウン近くの大きな邸宅へ上司や同僚、工房の職人らとともに4人で伺うと、ひとりひとりに『どの生地がいいか』と質問し、その答え通りに4着仕立てるといった注文の仕方でした」

「ただ藤沢さんは和服がお好きでしたね。銀座にも事務所があり、着流し姿で散歩されました。和服の上から羽織る角袖コートも5~6着注文していただきました」

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