酢をジャバジャバ使い、それを誇示する「スズキ」さん
前回「目玉焼き」についての記事が公開されたあとも、多くの方から「自分はこう食べる」とのリプライをいただいた。とはいえもう目新しい食べ方は出ないだろうと油断していたところへ、とんでもない豪速球が飛んできた。(前回「目玉焼きには何をかけますか 千差万別、譲れぬ作法」参照)
「うちのおじいちゃんは酢をジャバジャバかけます」
そうだ、忘れていた。酢の存在を。
世の中にある調味料はすべて挙げられたんじゃないかというくらい、さまざまなものをかけて食べられていた目玉焼きだが、なぜか酢はなかった。ポン酢ですらなかった。かろうじてゴマドレッシングがあった程度だ。
だが酢は決してマイナーな調味料ではない。酢を置いていないスーパーなど考えられないし、コンビニにもある。自炊する人なら一度は買ったことがあるだろうし、外食派ならなおさら酢を使った料理はイヤでも食べている。酢は超メジャーな調味料なのだ。
酢は塩とともに「最古の調味料」などと呼ばれる。
原料をアルコール発酵させたものから作られるため、世界中酒のあるところには必ず同じ原料の酢が存在する。日本酒の国には米酢が、ウイスキーの国には麦芽から作られたモルトビネガーが、ワインの国にはワインビネガーがある。そもそもビネガー(vinegar)の「vin」はワインのこと。グリム童話などにはよく、残念な飲み物の意味として「酸っぱくなったワイン」が出てくるが、保存方法の悪かった時代はうっかり酢にしてしまう事故も多かったのだろう。
酢の使い道は実に広い。たとえば日本料理の合わせ酢だけで、どれだけ種類があることか。しょうゆと酢を合わせた二杯酢、それに甘みを加えた三杯酢。三杯酢をさらにかつおだしで割れば土佐酢になる。ゴマを加えたゴマ酢や、ワサビを溶いたワサビ酢、卵黄とともに練り上げた黄身酢などはあまり馴染みがないかもしれないが、味噌と合わせた酢味噌は家でも食べる機会があるだろう。
和食のコースの中で酢を使った料理は、焼き物や揚げ物などのあとに出されることが多い。脂っけを酢でさっぱりさせてから次の料理へつなぐという、献立の流れの句読点といったところだ。
しかし酢は、単に酸っぱい味を得るための調味料ではない。素材の下処理や、味つけの過程で的確に使うことにより、縁の下の力持ちのごとく調理をアシストしてくれる大事な役目がある。
まず素材の色を鮮やかにする効果。焼き魚によく添えてある「はじかみ生姜」や「みょうがの甘酢漬け」などは、酢の力でキレイなピンク色に発色する。赤く染まる様子を「はじかみ」とするのは、なんとも美しい表現だ。また菊花のおひたしもお湯に酢を入れて茹でないと、せっかくの紫や黄色の花びらが汚れたベージュ色に変色してしまう。
そしてアク抜きと漂白効果。料理をする方は「〇〇を切ったらすぐ酢水に放す」という表現をよく目にするだろう。特にゴボウやレンコンなどは黒ずみやすいので、酢の力を借りることが多い。
また肉や魚に対して使うと効果的なのが、タンパク質を固める力。ゆで卵を作る時の水に酢を入れておけば、万一殻が割れても白身がすぐ固まって大惨事にはならぬ。またシメサバなど酢じめの魚は、表面を酢で固めることにより旨みを閉じ込め、生臭さも抑えられる。
酢の力に助けられるものは、他にもたくさんある。昆布を柔らかくするのも酢の力。マヨネーズが傷まないのも酢のおかげ。パイ生地の伸びをよくするのはビネガーだ。食欲がないときは酸っぱいものを食べればいいし、食べ過ぎたときも酢が消化を助けてくれる。減塩生活には酢を使うのが手っ取り早いし、高血圧や内臓脂肪にも…なんて話もチラホラ聞こえてくる。
そして何よりも私が実感しているのは、疲労回復の力だ。疲れているときは本当に酢が効く。といっても難しいことではない。サラダをマヨネーズやドレッシングで食べる、焼き魚にレモンをかける、ご飯を寿司飯にする、そんなことで十分だ。
最近あちこちのデパ地下や駅ナカなどで、色とりどりのフルーツ酢を試飲させてくれるお店があるのをご存知だろうか。まだ飲んだことがなければぜひ試していただきたい。デパート遊びとは、とかく暑くて足が疲れるもの。そこで飲む一杯の「酢の水割り」の甘露なこと! つい家でも試したくなること請け合いだ。ちなみにビールで割るのも非常にうまく、私はもっぱらこれである。
ところで冒頭で触れた「目玉焼きに酢をかけるおじいちゃん」もそうなのだが、なぜか酢はジャバジャバかけるシーンが多くないだろうか。ジャバジャバ使いがちな料理も結構あるし、ジャバジャバ使う自分を自慢する人もいる。他の調味料にはない、興味深い現象である。誰かに「俺ってしょうゆやソースをジャバジャバかけるんだぜ」と自慢されたら、この人大丈夫かな?と思うが、酢ならそうはならない。「ああいるね、そういう人」と思うだけだ。かつて経営していた名古屋の店ではそういう「酢をジャバジャバ使い、それを誇示する人」のことをスズキ(酢好き)さんと呼んでいた。
スズキさんが活躍しがちな食べ物は、ダントツで五目あんかけ焼きそばだろう。肉や野菜、魚介にキクラゲ、忘れちゃならないうずら卵などをとろりとあんかけにした焼きそば。「お待ちどうさま」と目の前に置かれるや否や、スズキはもう酢に手を伸ばしている。
いーち、にーい、さーんと3周くらいじゃ終わらない。よーん、ごー、ろーく…と酢かけ儀式は続き、それはもはやあんかけというより酢かけ焼きそばといった様相。中には友人のように「自分が使うと酢が全部なくなってしまうから、いいよ先に使って」と譲っておき、残りを全部かけてしまうようなスズキもいる。
ギョーザもスズキが発生しやすい料理だ。専用タレが置いてある店もあるが、多くは酢としょうゆ、ラー油などを自分で混ぜるスタイル。そこでスズキが作るのは「酢とラー油」もしくは「酢とコショウ」のタレだ。スズキは辛いもの好きと連動していることも多く、すっぱ辛いたれを嬉々として作成する。
もちろん辛さを伴わない「酢オンリー」で食べるスズキもいる。「小籠包だって酢だけで食べるんだ、ギョーザも同じようなもんだ」というのが彼らの言い分。中には友人のように大量に小皿にとった酢を最後に飲み干して食事終了という、ギョーザを食べにきてるのか酢を飲みにきているのかわからないスズキもいる。
いったい酢以外に、大量に摂取することを誇らしげに語る調味料があるだろうか。穀物酢や果実酢だけでない、レモンやカボスなどの柑橘酢にも同じことが言える。酒に、揚げ物に、豆腐に、なんでもカボスをかける大分県人に会ったことはないか? 同じくなんでもスダチを絞る徳島県人に会ったことはないか? 大分出身の義父など、食卓に乗っているものの中でカボスをかけないのはカボスだけ、というくらいカボスに取り憑かれていた。ご飯にまでカボスをかけてしまう行為をいつも誇らしげに語っていた。あれは何なのだ。酸っぱいものをたくさん摂取することが、なぜ自慢のタネになるのだ。死ぬまでに解明できるだろうか。
最後に私のオススメ酢使いをご紹介しよう。それは「なめろうにかける」ことである。房総の漁師料理だったなめろうも今では随分メジャーになり、遠く離れた土地でも食べられるようになった。そのまま食べておいしい味つけがなされているが、ぜひ酢をかけたり、酢をつけて食べてみて欲しい。なめろうの別の扉が開くこと間違いなしだ。
うちの店でも酢なめろうは大人気だった。特にスズキなお客さんは、酢をかけしばらく放置し、表面が白っぽくなってから食べたりしていたものだ。また、それをご飯に乗せてなめろう丼にするときは、新たに酢を所望してご飯にかけたりもしていた。ったく、なめろうを食べてるのか酢を食べているのか…本当にスズキの欲望は果てしない。
(食ライター じろまるいずみ)
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