分厚いステーキ、豚肉なら週イチでも 四日市とんてき
「とんてき」という言葉にどんなイメージをお持ちだろうか。同じステーキでも、ビーフステーキは「ハレの日に食べるもの」だが、とんてきにはそれほどのプレミアム感はない。一方で、とんかつほどの身近さもない。よく考えるとステーキやとんかつのような専門店も、あまり見かけない気がする。
しかし、そんなとんてきを看板メニューにする店が、町中にあふれる町がある。三重県四日市市だ。
四日市のとんてきは、分厚い豚のロース肉をごろごろニンニクとともに濃いめのたれでソテーし、たっぷりの千切りキャベツを添えて食べるのが作法。圧倒的なボリューム感が魅力のがっつり系ご当地グルメだ。
ルーツは戦後。もともとは、市内の中華料理店「来来憲」の人気メニューだった。ここで修業を積んだ、現在の「まつもとの未来憲」の店主が独立、看板メニューとして人気を高めることで、市内の多くの店に広まった。
使う肉は肩ロース。「まつもとの未来憲」では三重県産のものにこだわる。1枚250グラムと厚く切るため、一つのブロックから4枚の切り身しかとれないという。ショウガ焼きよりはるかに厚く、ポークソテーをも上回る厚み、それがとんてきなのだ。
四日市とんてきの特徴の一つは「グローブ型」に切る肉の下ごしらえにある。脂身の部分はつながったまま、赤身の部分に縦に切れ目を入れていく。焼き上がったときに野球のグローブのような形になることから、四日市ではお店もお客も「グローブ型」あるいは単に「グローブ」と呼ぶことが多い。
ビーフステーキというと鉄板焼きのイメージだが、四日市とんてきは中華鍋やフライパンで調理するのも特徴。肉が厚いため、焼き加減も難しい。火をしっかり通しつつ、火を通しすぎて肉が硬くならないようにもしなくてはならない。火が通り切る寸前を見極めるため、フライパンが発する焼き音に耳を凝らす。
「肉に火が通ると、焼き音が変わる」という。
味付けはソースがベース。店によってはしょうゆを使うところもあるが「まつもとの未来憲」はじめ多くの店はソースを味の基本にしている。もちろん、たっぷりのニンニクも欠かせない。エキストラでニンニク増量に対応してくれる店も多い。この味が食欲に火をつける。
色も味もしっかりしたソースが舌に絡むとどうしたって白いご飯が食べたくなる。ロースの脂身も、炊きたてご飯の熱さを求めている。脂がたっぷりついたロース肉でも、熱々のご飯と一緒にほおばれば、口の中がさっぱりとするからだ。
付け合わせの千切りキャベツともソースはタッグを組む。山と盛られたキャベツも、皿の底のソースがあればいくらでも食べられる。
四日市のとんてきのおいしさはよく分かった。しかし、他の町ではビーフステーキやとんかつに比べて存在感が希薄なとんてきが、なぜ四日市でそこまで高い人気を得たのか? その背景には工場がある。
四日市市は、中京工業地帯の中核の一つをなす都市。明治以降、繊維業に始まり、軍需産業に重点を移し、戦後は石油化学と常に「工場のまち」として栄えてきた。額に汗して働く人が多い土地に、カロリーが高くボリューム満点の食事は付き物だ。九州・筑豊のホルモンや北海道室蘭市の豚肉のやきとり、岩手県釜石市のラーメンなどが知られている。
そんな中で「『西の牛肉』に対する『東の豚肉』の西端にある四日市のとんてきは、中華料理店をルーツに持つこともあり、洋風の鉄板焼きでもなく、和食のかつでもなく、中華鍋やフライパンで豚肉を焼く調理法になったのではないか」(四日市とんてき協会塚本さん)という。
もちろん、ビーフステーキだってとんかつだって、四日市の人は嫌いなわけではない。ただ、ビーフステーキはそう頻繁に食べられるものではない、本当の「たまのぜいたく」だ。また、とんかつは家族連れで食べるイメージが強いという。
これに対しとんてきは、職場の仲間らと食べに行くことが多いそうだ。仕事の合間や仕事帰りに「今週はよくがんばった」と「自分へのご褒美」に食べるものだという。
ハレの日のごちそうでもなく、月に一度の一家だんらんでもなく、週に一度くらいでも食べられる「プチぜいたく」なのだ。
だから、提供するのは食堂に限らない。ラーメン店も居酒屋も、様々な業態のお店でとんてきが食べられている。事実、近鉄四日市駅から続く広いアーケード街を歩けば、あちこちの店で、メニューの目立つ位置にとんてきの文字が躍っている。
とんてきでまちおこしに取り組む四日市とんてき協会の方に「四日市に立ち寄ったからには、こんなとんてきもあるんだぞというのも食べておいてほしい」とある店を紹介された。
そう言われれば食べたくなるのが人の常。日曜日の午前中から「とんてきで昼酒」に挑戦する。
訪れたのは、近鉄四日市駅に直結するアーケード街。駅からすぐの場所にその店はあった。のれんには「食堂」の文字。やはりとんてきにはご飯かなと内心疑いながらのれんをくぐる。
午前11時の開店直後だったが、まばらな客の全員が何かしらのアルコールを手にしていた。郷に入っては郷に従うのが、おいしいものをよりおいしく食べる秘訣だ。さっそくとんてきとビールを注文する。
キッチンと飲食スペースの間にはガラスケースがあり、そこにはサラダや刺し身の盛り合わせなどが陳列されていて、客は自分の好みでガラスケースから料理を取り出す。西日本の食堂や居酒屋によくあるスタイルだ。
とんてきは調理に時間がかかるとのことで、しばしビールをなめながらとんてきの登場を待つ。やってきたとんてきは、やはり真っ黒くソース色に染まっていた。というより、ソースの海に浸っていた。
箸で食べることを前提にしているのだろう、肉はグローブではなく、一口大に切られていた。これをかじりつつビールをあおる。味の濃さが、ビールで口の中を洗い流せと勧めてくる。
肉にニンニクをのせてかじってみる。ニンニク特有の強い味わいが、これまたビールを要求する。ソースの海に目をやると、これまでに食べた四日市とんてきでは、溶けたラードが皿の上に透明な層を作っていたのだが、ここでは見渡す限り真っ黒なのだ。
肉を食べ進むと確かに脂身は少なめ。これは「酒のつまみ仕様」のとんてきなのだろうか? ソースの海に浸っているうちにちょっとしんなりしてきた千切りキャベツもまたいいビールのともになった。
前言撤回。ご飯だけじゃない、四日市とんてきはビールにも合う。がんばった自分に乾杯!
愛知県を本拠にするコーミソースが専用のたれを販売するなど、広く親しまれている四日市とんてき。味噌かつなど、豆味噌が席巻する一帯にあって、このソース味は異彩を放つ。現地を訪れる機会があったら、ぜひ食べてみてほしい。
(渡辺智哉)
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