駅から徒歩で1分。約7300平方メートルの敷地に、第1弾として地上5階建て延べ床面積約7千平方メートルの新校舎を建設した。他の女子大学長は「我々は都心にキャンパスなんて手に入らない。津田塾さんのOGのパワーはすごい」という。

日本の英語・女子教育の先駆者、津田梅子が1900年に創設した津田塾。現在の学部生は約3000人弱だ。学芸学部の1学年の定員は580人、新設の総合政策学部は110人である。

卒業生の数は約3万2000人と、決して大きな大学ではない。だが、政界や官界、経済界、学術界に女性リーダーの人脈をつくっている。

津田塾OGは、「女性第1号」のキャリアを次々生み出した。山根敏子氏は女性初の外交官、社会人類学者だった中根千枝氏は女性初の東京大学教授。女性初の官房長官となった森山真弓氏や元文部大臣の赤松良子氏らもおり、それぞれが旧労働省の婦人少年局長時代に男女雇用機会均等法の草案づくりなどに尽力した。

均等法成立にかかわった官僚らに津田塾卒業生が多かったことから「津田マフィア」といった言葉も生まれた。そもそも婦人少年局の初代局長も卒業生の山川菊栄氏で、女性解放運動の思想的なリーダーだった。

DeNAの南場氏は在学中に米留学

現在、経済界での津田塾OGの代表格はディー・エヌ・エー(DeNA)会長の南場智子氏だろう。津田塾卒業後にマッキンゼー・アンド・カンパニーにコンサルタントとして入社、その後、ハーバード・ビジネススクールに留学したが、「私にとっては命の洗濯だった」と振り返る。コンサルタントとして過酷な仕事の日々との対比でこう語ったのだが、ハーバードもハードな講義で有名だ。

津田塾大学の高橋裕子学長

高橋学長は「南場さんは津田塾時代に米国の協定校に留学して学業や生活面での自信を培っていました。だから、ハーバードでも苦労されなかったのでしょう」と語る。留学先は津田梅子が学んだ女子大のブリンマー大学(ペンシルベニア州)。ブリンマー大学では津田塾で学んだ英作文のアカデミックライティングが役立ったという。津田塾は米欧やアジアの26大学と協定を結び、毎年約30人の学生を交換留学生として送っている。

DeNAは急成長する一方で、不祥事にも揺れた。しかし、高橋学長は「様々な困難にぶつかりながらも、奮闘している南場さんは、我々にとって大切なロールモデル」と語る。急成長する衣料品カタログ通販のドゥクラッセ社長の林恵子氏もOGだ。津田塾卒業後に米国に留学、外資系企業でキャリアを積み、起業した。他にも大手企業の役員クラスに登用されている卒業生が多い。

強みは女性リーダーのロールモデル

高橋学長は、こうしたOGの存在こそが津田塾の強さの秘密だという。「私たちは、社会で活躍するOGを大学に招いて経験談を語ってもらっています。いまだに社会は男性上位。厳しい壁が立ちはだかるなか、どのようにキャリアを磨いてきたのか、それを在校生と共有します。それが津田塾の最大の財産です」と話す。

次のページ
就職先は第1志望、第2志望が計96%
ブックコーナー ビジネス書などの書評はこちら