どぶろく、男女の縁も結ぶ酒 新米の恵みに感謝し乾杯
2016年に公開され、国民的大ヒットとなった映画「君の名は。」。少年少女の時を超えた恋愛ストーリーに胸ときめかせるには大人になりすぎた私だが、映画に登場したあるものには心躍った。それは「口噛み酒」。太古の酒だ。
映画では口噛み酒が主人公の少女・三葉を救うカギになる。口噛み酒とはその名のとおり、口の中で生米や炊いた米、芋類などをカミカミしてから発酵させて作る酒。製法を知ると及び腰になってしまいそうだが、実は口噛み酒は映画のために作られた架空の酒ではない。
國學院大學デジタル・ミュージアムの「万葉神事語辞典」には次のような説明がある。「『塵袋』所引の大隅国風土記逸文に、酒を造ることを『かむ』というとあり、以下のような説明がある。大隅の国では、ある家に水と米とを準備して村中に告げ回ると男女が一箇所に集まって米を噛んで酒専用の入れ物に吐き入れて、散り散りに帰宅する。酒の香がしてきた時にまた集まって、噛んで吐き入れた者たちがこれを飲む。これを名付けて口噛の酒と呼ぶ」。
『塵袋』は鎌倉時代の辞書であるから、鎌倉時代以前にはすでにこの原始的な方法で、口噛み酒が造られていたということだろう。口噛み酒は沖縄や奄美諸島でも作られ、世界にも同じような製法の酒があった。今ではほとんど消滅しているが、アマゾン低地には今も残っているという。
映画の中では、三葉を探す少年・瀧が口噛み酒を見つけ、瓶子に入った酒をそのまま一気に飲み干している。どんな味かは想像するべくもないが、発酵の後に漉さずに飲んでいるということは、どぶろくのようなものだろうか。
どぶろくとは、醪(もろみ)を漉さない、白濁した酒のことだ。名前は聞いたことがあっても、飲んだことがない人も多いのではないだろうか。漉さないため、トロッとした米の固形分が残っており、独特の酸味と甘みがある。
どぶろくには収穫の感謝をあらわす酒という側面もあった。毎年、秋になると各地で「どぶろく祭」が行われるのは、古来、人々が山海の恵みや農作物を神に供えることで、収穫への感謝をあらわし、翌年の豊作を祈ってきたからだ。新米は恵みの最たるもの。その年とれた新米と、新米で醸した酒を神前に供え、収穫を祝った名残が「どぶろく祭」だ。
東京都中央区にある小網神社は、都心のビル街にある神社だが、今でも毎年どぶろく祭が行われている。11月23日の新嘗祭で神前にお供えされたどぶろくが、28日に参拝者に無料でふるまわれるとあって、当日はどぶろくを求める行列ができる。白く濁った見た目と、甘い香りがたまらない。酔いやすいので、外回りの途中に立ち寄ろうとたくらんでいる方はどうぞご注意を。
どぶろくは元々各家庭で作られていた個人醸造の酒だった。しかし、現在は個人が酒を造ることは禁止されている。現代において、日本酒として親しまれている清酒が誕生したのは室町時代だが、江戸時代まではどぶろくも作られ、清酒と共存していた。しかし明治32年に自家用酒造が全面的に禁止され、個人がどぶろくを作ることはできなくなった。自家用酒が禁止されたのは、大増税の必要にせまられた当時の政府が、酒税の増徴に目をつけたためだったという。
とはいえ、どぶろく文化が途絶えることには長らく異論があったこともあり、2002年の構造改革で、酒税法への特例措置ができた。地域限定で少量のどぶろく製造が可能となる、通称「どぶろく特区」だ。現在は全国にどぶろく特区があり、地域の食文化としてどぶろくを醸している。
ちなみに白く濁ったどぶろくは、市販のにごり酒と似ている。しかし酒税法上の理由から、清酒は必ず漉す工程を経なくてはならないため、にごり酒は粗布などで漉してある。白い色は、醪の成分が酒にまじったものだ。
日本における酒の歴史をさかのぼると、邪馬台国の卑弥呼の時代にはすでに酒が造られていたと伝わる。すでに稲作が始まっており、この時代の酒は米や雑穀を材料としたどぶろくのような酒だったと考えられる。人々は酒を好み、葬式でも弔いのために酒を飲んだ。
ところで皆さんは、古代の婚活との呼び名が高い「歌垣」をご存じだろうか。万葉の昔に行われていた風習で、年に1、2度、野山や海辺に男女が集い、酒を酌み交わしながら、求愛の歌を詠み合い、意気投合した男女がパートナーになるというものだ。
私は日本文学専修だったため、大学の講義で歌垣のことを習ったが「まぁー、今でいう合コンというか、乱交パーティーですね」との教授の談にのけぞりそうになったことがある。阿部健著『どぶろくと女』によると、この歌垣で飲まれていたのも、どぶろくのようなものだという。どぶろくを飲みながら、野外で婚活パーティーとは、古代人はなんとおおらかなんだろう。
最後にどぶろくのおいしい飲み方をご紹介しよう。酵母が生きているどぶろくは微炭酸で、さわやかな酸味があり、食前酒向き。さらにさっぱり飲むには、炭酸ソーダで割るといい。酸味がやわらぎ、シュワシュワと軽やかで、爽快感がある。
古くから収穫を感謝する供物であり、人々の愉しみのそばにもあったどぶろく。実りの秋には、古代よりつたわるどぶろくを新しい味わい方で味わえば、秋がいっそう楽しくなりそうだ。
(日本の旅ライター 吉野りり花)
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