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ヒットの原点

デジタル文具を先取り 「テプラ社長」の成功と挫折 キングジム(上)

2017/10/5

キングジムの宮本彰社長

テプラやポメラ、ショットノートなど、独創的な商品を生み出してきた事務用品メーカーのキングジム。厚型ファイルに次ぐ収益の柱に育ったデジタル文具の開発をリードしたのは4代目社長の宮本彰氏だ。テプラの成功で社長に就任したが、その後、そのテプラの特許係争で痛手をこうむった。紙やファイルを過去のものとする、文具のデジタル転換期を、キングジムはどうやって乗り越えてきたのか。

■会社草創期、発明家社長がエンジンに

「子どものころはまさしくここに住んでいました」と本社の床を指し、彰氏は言った。1954年東京都千代田区東神田の生まれ。当時としては珍しい5階建てビルが会社兼自宅だった。

「年末になるとビルの前にワゴンを出して、少々難ありの商品を販売していました。小学生のころはよく、それを手伝っていたんです。率は忘れましたけれど、売った分のいくらかをお小遣いとしてもらえた。そう、完全なる歩合制でした」

彰氏が小学校へあがったのは、ちょうど「名鑑堂」から「キングジム」へと社名変更した時期だ。創業者で祖父の英太郎氏も、同じ屋根の下で暮らしていた。彰氏はこの祖父の教えを受けながら、家業を継ぐべく育てられた。孫の目から見た英太郎氏はどのような人物だったのかと質問すると、彰氏は笑ってこう答えた。

「自称、偉大な発明家。頑固で変わり者でした」

事業を始める前、英太郎氏は材木商に勤務するサラリーマンだったという。のれん分けの資金500円を元手に独立。事務作業をしていたある日、はがきの住所部分を切り抜いて差し込めるようにしたらどうだろうかと思いついた。そうすれば顧客名簿に住所をいちいち書き写す手間も省けるうえ、順番を自由に差し替えられる。これがたちまち評判となり、後の画期的なアドレス帳「人名簿」へと発展した。その発売をきっかけに材木商から文具メーカーへと業態転換し、キングジムの前身「名鑑堂」を立ち上げた。

「とにかく世にないものを作るのが大好きな人でした。もちろん、失敗も多いんです。失敗した発明品のなかには、『世界共通言語』なんていうものもありました。発音記号のような文字を考案して、『世界中がこれを使えばコミュニケーションが円滑になって世の中が平和になる』なんてことを言っていましたね」

戦後になって経済が安定してくると、米国人が日本の文具を買い付けにくることもあったという。しかし、英太郎氏は英語が話せないため、商談は成立せず、悔しい思いをした。そんな苦い経験が世界共通言語の発明につながったそうだ。

■3代目社長は元銀行マン

英太郎氏は発明のために世界中を旅して歩いていたそうだ。「どこでどうやって調べたのかわからないのですが、どこそこの国にいい文具を作っている会社があるらしいという噂を聞きつけると、勝手に行っちゃう人でした。言葉もできないのに、通訳なしで。無事に帰ってこられるのかと、みんな本気で心配したみたいです」

そんな向こう見ずな性格だから、「金勘定は苦手だった」。そこで銀行から金庫番として引き抜かれたのが彰氏の父親、浩三氏だった。英太郎氏の娘と結婚するのと同時に入社したという。

「祖父からすると、父は娘婿にあたります。祖父には長男もおりまして、この人は人付き合いのいい営業向きの人でした。その人が2代目社長になり、父はその2代目を支えるために入社したのです」

ところが2代目が若くして急逝してしまったため、浩三氏が3代目社長に就任することになった。慶応大学法学部を卒業した彰氏が、そんな父親の経営するキングジムに入社したのは77年のことだった。

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