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削られ続ける秩父「神の山」武甲山に向き合う芸術家

2017/10/1

東京都心から西武線に乗って秩父に向かう。トンネルをくぐり、1つ手前の横瀬駅のあたりに差し掛かると、突如巨大な山塊に出迎えられる。石灰岩の採掘で削り取られた頂は、まるでピラミッド。秩父で古来、「神の山」とあがめられてきた武甲山だ。

秩父出身でアンデス音楽を得意とするギタリスト・笹久保伸さんが、武甲山を題材に初めての写真集を出した。「秩父の象徴が毎日採掘で爆破され、削られる。地元の人は『嫌だ』と思っても、しがらみがあって口に出しにくい。でも、アートであれば表現できる」と話す。

神の山にして近代日本を支えてきた産業の山

武甲山の歴史は古い。武甲山資料館によると、崇神天皇の時代、知知夫(ちちぶ)国の祖神だった知知夫彦命の霊が武甲山に奉祀(ほうし)されて以来、信仰を集めてきた神の山だ。一方で、質・量ともに屈指の石灰石鉱山として、日本の近代化を支え続けてきた産業の山でもある。

信仰と産業という2つの顔を持つ武甲山。地元自治体である秩父市と横瀬町は、税収や雇用を理由に産業方面にかじを切った。環境破壊を懸念する声もあったが、1980年に山頂が爆破され、1336メートルあった標高は現在、1304メートルに。笹久保さんは「あれで当時の人たちはあきらめちゃったのかな」と推し量る。「80代の人に話を聞きに行くと、『今からじゃ遅いじゃないか』と言われる。でも僕は(武甲山を)見捨てていない」という。

ペルー留学をきっかけに故郷の秩父に目を向ける

2008年ごろまで約4年間、ギタリストとしてペルーに留学したことが故郷の秩父に目を向けるきっかけとなった。「アジアの端っこの日本という国に生まれた自分とは何だろう、自分を構成するアイデンティティーって何なのだろうと考えたら、秩父だった」

「自分の根本、自分を形成している秩父のカルチャーがどういうものかを知らない限り、自分がアーティストとして自分の作品を打ち出すときに、うそになってしまうのではないか」。そんな折、笹久保さんが図書館で見つけたのが41年前の写真集「武甲山」。撮影者は秩父が生んだカメラマン、清水武甲だった。

「ページを開くと、自分が見ながら成長してきた山が崩されてきた悲しみや痛みが込み上げてきた。清水武甲さんのように、自分も未来の人に向けて何か残したい」と決心したという。カメラを抱えて毎日のように武甲山に向かうようになった。

6月に発売された写真集「武甲山 未来の子供たちへ」には、ドキュメントタッチの写真も収められているが、光の加減や意図的なブレなど、多くはアートの体裁をまといつつ破壊されていく自然を切り取っている。

「文明を(ストレートに)批判しても意味はない。資本の動きはヒューマンスケールをはるかに超えていて、止められないのは分かっている」と笹久保さん。それでも「アーティストが何も言えなくなったらおしまい」と語気を強める。

地元先人の反骨心を支えに「秩父前衛派」名乗る

俳人の金子兜太、写真家の清水武甲、最近では美術評論家の椹木野衣……。笹久保さんは秩父ゆかりの文化人を次々と挙げた。「パンチの効いた反骨心旺盛な先人たちの存在は、心の支え」という。自身もアート集団「秩父前衛派」を立ち上げた。個展「武甲山 破壊の記憶の走馬灯」が10月9日まで市原湖畔美術館で開かれている。

既に山肌に巨大なバリケードのようなものが築かれ、もはや人工物のように見える武甲山。それでも、絶滅危惧種のミヤマスカシユリが昨年、38年ぶりに自生しているのが見つかった。それは地域の宝であり、生命のあかしであるともいえる。

笹久保さんはあきらめていない。「僕の作品を見て何かを思う人がいるかもしれない。その人の心が変わるかもしれないし、何かを思いつくかもしれない。そういう活動に希望を持っている」

(桜井陽)

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