働き盛りでがんにかかったら、仕事はどうすればいい? 「がんと就労」は社会の大きなテーマになりつつある。2017年8月、「ジャパンキャンサーフォーラム2017」が開催され、多くのプログラムの一つとして、肺がんと闘いながら働き続ける夫を支えた経験を持つARUN合同会社代表の功能(こうの)聡子さんと、働きながらがんを治療する人向けのがん保険を提供するライフネット生命保険の岩瀬大輔社長が登壇した。がん治療と仕事の両立には、患者側、会社側、双方の意識の改革と、制度の充実が必要なようだ。
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治療と仕事の両方を続けることが生きる目標に
功能さんの夫・山岡鉄也さんは日本経済新聞社の関連会社である日経BP社の社員だったが、2010年に肺がんのステージIVと診断され、7年間の闘病の末、2017年7月に亡くなった。がんと診断されたときにはすでに転移があり、手術も放射線治療もできない状態で、抗がん剤治療のために、山岡さんは2010年7月から2011年末まで休職した。
功能さんは、「完治できないと分かったときには、山岡は大変なショックを受けた。しかし、治療薬が変わって副作用が軽減したころ、徐々に前向きになり、料理をしたり、旅行に行ったりして生活を楽しむ中で、『生きる意義とは何か』と考えるようになった」と語る。
復職への意志が強くなったのは、患者会に参加した影響が大きいという。自らの体験談がほかの患者さんたちに役立ったと聞き、「仕事に戻ることで、さらに広く人の役に立ちたい」という気持ちが募っていった。そこで会社側と話し合い、2012年1月から「慣らし出社」という形で徐々に出社回数を増やし、2012年3月から正式に復職した。
しかし、役職や待遇はがんにかかる前とは変わった。以前は管理職だったが、体調や治療を考え、上司と相談して、ある程度自由のきく専門職となった。部下を持って働いていた管理職から専門職に変わったことは、山岡さんにはつらいことだったが、徐々にその状況にも慣れてきた。
以降、さまざまな薬剤による治療を行った後、脳転移、骨転移が認められ、2017年1月からは歩行が困難になり、車椅子を利用する生活になったが、その後も仕事を続けていた。「治療と仕事を車の両輪のように続けていた。最後までできることをできる限りやりたい、と言っていた」と功能さんは話す。
「がんと就労」をテーマに啓蒙活動を行う
一方、「受け入れる会社側にも戸惑いはあったと思う」と功能さんは言う。病気治療で休職していた社員が、回復して復職した例はあったが、山岡さんのように、治る見込みのない社員が、治療を続けながら復職する例は初めてだったからだ。
そこで山岡さんは、「がんと就労」というテーマで広く社会に啓蒙活動を続けることが必要と考えた。時を同じくして、政府ががんにかかった人の就労を推進していることを知り、国立がん研究センターと共同で「がんと共に働く」プロジェクトを始めることとなった。
具体的には、日経ビジネスオンライン上に「がんと共に働く~知る・伝える・動きだす」というサイトを立ち上げ、がんの治療をしながら働く多くのケーススタディを紹介し始めた。日経Goodayでも「がんに負けない患者力」というコラムを通じて、がんに向き合った人々に話を聞き、後悔しない人生を送るためのヒントを紹介した。また、東京都や特定非営利活動法人日本緩和医療学会と協力して、啓蒙のためのパンフレット類の制作なども行った。
さらに、日本肺癌学会学術集会で自らの体験談を発表。2015年の世界肺癌学会議では、がんにかかった人も働きやすい社会の実現に向けた活動が認められ、肺がんとの闘いにおける意識を高めるうえで重要な役割を果たした人に贈られる「アドボカシートラベルアワード」を日本人で初めて受賞した。その後も意欲的に仕事と活動を続けていたが、徐々に病気が進行し、2017年7月に亡くなった。
「山岡は『(一世代前とは違って)肺がんには希望がある』と信じて働き続けた。命の不安を抱えながら仕事をしている山岡の姿を見て、同僚の方から、『自分自身の仕事に対する姿勢を振り返り、仕事への取り組み方を見直すことができた』という感謝の言葉もいただいた。患者が、自らの状態や治療方法、予想される変化について広く発信することで、がんにかかった人の就労に対する理解を深められると思う」と功能さんは語った。
がんになった人の不安 1位は「再発や転移」、2位は「仕事」
では、がんにかかった多くの人たちの実態は、どのようなものなのだろうか?