オルガニスト・冨田一樹 国際バッハ優勝の技を日本で
2016年の国際バッハコンクールで優勝したパイプオルガン奏者の冨田一樹さん(29)が7月に本帰国し、日本で演奏活動に乗り出した。ドイツ留学で培った技術と経験をどう生かすか。世界一のオルガン演奏の方向性を聞いた。
ドイツ東部ライプチヒ市は作曲家ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(1685~1750年)ゆかりの地として知られる。バッハは聖トーマス教会音楽監督(トーマスカントル)を務め、プロテスタント教会音楽の指導者として活躍した。このライプチヒで1950年に創設され、現在2年に1回開かれているのが国際バッハコンクールだ。冨田さんは昨年の第20回大会オルガン部門で日本人として初めて優勝した。
■国際バッハコンクールのオルガン部門で優勝
「優勝したのはうれしかったけれど、10日間ほどかかる長いコンクールだったので、正直なところ疲れていて、終わったときにはホッとした」。世界一の実力を認められた優勝者とは思えないほど軽妙な調子であっけらかんにそう語る。
インタビューをしたのは7月28日。冨田さんは前日にドイツから関西国際空港に到着したばかり。大阪音楽大学を首席で卒業後、独リューベック音楽大学に留学していた。同大学院修士課程を修了し、今回が本帰国となった。ドイツ留学中にコンクール優勝を果たしたわけだ。これから日本でパイプオルガンの演奏活動に精力的に取り組み、この楽器の魅力を広げていくはずだが、気負いは感じられない。「僕はテクニックにたけた音楽家ではないと思っている。あまり真面目なことも考えない」など、謙遜とも照れともとれる軽口が飛び出す。不思議なキャラクターだ。
国際バッハコンクールでは14年の第19回大会バイオリン部門で岡本誠司さんが日本人として初めて優勝した。冨田さんはこれに続く快挙だが、18世紀当時一流のオルガン奏者でもあったバッハの名を冠したコンクールだけに、オルガン部門は最難関の一つといわれる。「(テクニックだけではなく)音楽的なアプローチを審査員に評価されたと思う」と冨田さんは話す。どんなアプローチをしたのかと聞くと、「情熱的に弾こうという気持ちで演奏した」と話す。「演奏法としては僕は正統派という言葉が合うかどうか分からない。それでも僕がいいと思ったから情熱的に弾いた」。物腰柔らかな割には意志が強そうだ。
クラシック音楽を好む母の影響で、物心つく頃から自宅でクラシックのCDを聴いていたという。小学4年生からピアノを習い始めたが、「不真面目な子供だったので、全然練習しなかった」。中学生になってたまたまバッハの作品をCDで聴いた。「その中にパイプオルガンの曲があって、その作品に感銘を受けたのがオルガンを弾こうと思い立ったきっかけ」と言う。
同じ鍵盤楽器でもなぜピアノではなくオルガンを選んだのか。その理由はハーモニーの豊かさだという。「僕が音楽の重要なポイントと考えているのはハーモニーだ。オルガンの方がピアノよりもハーモニーをよりじかに感じやすい楽器だと思っている」。冨田さんによると、ピアノは鍵盤を押して弦をたたいて音を出す弦楽器だ。このため弦をたたいた後で音が減衰していく。これに対しパイプオルガンは一種の管楽器なので「音が持続し、ハーモニーをより深く楽しむことができる」と説明する。
■パイプオルガンではなく自宅のオルガンで練習
冨田さんにインタビューした場所は、イタリアのオルガン製造会社バイカウントの東京都中央区にある「オルガンショールーム(総輸入発売元:ヤマハミュージックジャパン)」。教会やコンサートホールに設置されるような巨大なパイプオルガンのショールームが存在すること自体、そもそも信じられない。だがその「ショールーム」の一室に足を踏み込んだ途端、事情が分かった。陳列されていたのはパイプオルガンではなく、自宅にも置けそうなオルガンだったのだ。「クラシックオルガン」と呼ぶ伊バイカウント製の鍵盤楽器だ。林立する金属製のパイプはどこにも見当たらない。
「高校生の頃、バイカウントのオルガンを自宅に置いて練習していた。バイカウントには相当お世話になっている」と冨田さんは打ち明ける。キリスト教会が少ない日本では、教会に据え付けられた本物のパイプオルガンを弾いて練習するのは容易ではなさそうだ。パイプオルガンを備えたコンサートホールも日本各地にあるが、個人が陣取ってずっと練習し続けるのは難しい。だが冨田さんはそんな環境にも頓着しなかったとみえる。「自宅のバイカウントを愛用していた。割とどっしりした鍵盤のタッチが好きだった。本物のパイプオルガンをよく再現していた」と振り返るほど、意外にも「クラシックオルガン」に愛着を持っていたようだ。
その後、大阪音大のオルガン科に進学した。大学時代は「教会やコンサートホールのパイプオルガンを弾く機会はあったが、回数は多くなかった」。大阪音大ではオルガニストで特任教授の土橋薫さんに師事した。土橋さんが大阪府羽曳野市の生活文化情報センター「LICはびきの」で教えていることもあり、「LICはびきののパイプオルガンで演奏する機会があった。あとは大阪音大のオルガン室で卒業演奏会にも出演した」と話す。
それでも日本でパイプオルガンを弾く機会は少ない。「大阪音大を卒業してからは細々と音楽活動をしていた。このままではどうにもならないと思っていた。そんなとき、音大の先生から留学の勧めがあった」。ドイツを留学先に選んだのは、バッハが好きだったのに加え、12年に初めてドイツを訪問したことも影響している。「ドイツ北西部のノルデンという小さな町にある教会のオルガンを演奏する機会があり、そのオルガンに感銘を受けた。ドイツでしか学べない音楽があるんだなと気が付いて、留学の準備を始めた」。自宅にこもってオルガンに熱中する日々から、欧州へと向かう新たな展開に入った。
■リューベックで北ドイツオルガン楽派に傾倒
留学したリューベック音大は、ハンザ同盟の盟主として栄えたドイツ北部リューベック市にある。ノーベル賞作家トーマス・マンの生誕地であり、長編小説「ブッデンブローク家の人々」や「トニオ・クレーゲル」などの作品の舞台としても有名だ。ドイツ文学が好きな人にはたまらない魅力の詰まった町である。「リューベックはハンザ同盟で栄えていた商業都市なのでドイツの中でも都会だ。立派なパイプオルガンが当時の繁栄を物語っている」と冨田さんは説明する。
リューベックは音楽でも誇るべきものがある。冨田さんはこの町で活躍した作曲家としてディートリヒ・ブクステフーデ(1637年ごろ~1707年)を挙げる。17~18世紀前半の「北ドイツオルガン楽派」の代表格で、リューベックの聖マリア教会でオルガニストを務めた。「ブクステフーデのオルガン演奏があまりにも素晴らしかったから、バッハが若い頃にリューベックにやってきたほどだった」と話す。北ドイツのオルガン曲への関心を募らせていた冨田さんは、バッハと同様にリューベックに引き寄せられていった。
彼は尊敬するオルガニストとしてリューベック音大の恩師であるアルフィート・ガスト氏を挙げる。「ガスト先生はコントロールがずばぬけて安定している。素晴らしくていつも尊敬している」。リューベックには古いオルガンが現存している。「500年前に造られたパイプオルガンが好きでよく弾いていた」。旅行で欧州各地のオルガンも弾けた。実力が知れ渡るにつれてさらに欧州各地から演奏の依頼が来るようになった。
ドイツ留学で彼は世界屈指のオルガニストに教わり、歴史的な名器を演奏する経験を積んだ。「音楽をより客観的に捉えられるようになった。留学前までは演奏だけに集中してしまい、自分の鳴らす音を聴いていないこともあった。それはよくないことだったので、いろいろと勉強になり、発見が多い留学だった」と振り返る。
せっかく欧州でもオルガン演奏の道が開きつつあるため、今後もドイツを拠点に活動してもよさそうだ。冨田さんと同世代ではもう一人、日本人で世界的オルガニストがいる。東京芸術大学と同大学院から独ハンブルク音楽演劇大学大学院に留学し、武蔵野市や独ニュルンベルク、伊ピストイアなど主要4種類の国際オルガンコンクールに優勝した福本茉莉さんだ。「ビジュアル音楽堂」でも取り上げたことのある福本さんは今もドイツに在住し、欧州各地でオルガン演奏を続けている。
冨田さんと福本さんは同じ北ドイツ留学組の国際コンクール優勝者だ。「もちろん彼女のことは知っている」と冨田さんも言うほど、2人は今後ライバルとして意識し合うことになるだろう。しかしタイプは全く異なる。福本さんはドイツ後期ロマン派のマックス・レーガー(1873~1916年)など近現代の作曲家のオルガン作品も得意とする。
■ドイツ留学を終えて日本で演奏活動を開始
一方の冨田さんは「レーガーは正直なところ苦手だ」と話す。彼が好むのはブクステフーデら古い北ドイツオルガン楽派。さらにはその先駆となるオランダのヤン・ピーテルスゾーン・スウェーリンク(1562~1621年)やドイツのハインリヒ・シャイデマン(1595年ごろ~1663年)だ。「古めかしい感じ、素朴だけど力強いところが魅力。何か訴えるものが秘められている音楽だ」と主張する。ドイツに現存する古いパイプオルガンが似合う音楽だ。
しかし留学を終えてすぐに本帰国したのは冨田さんの方だった。「日本のパイプオルガンは古くても数十年前に造られたものであり、歴史はまだ浅い。パイプオルガンの数自体が少なく、教会ではなくホールに設置されている場合も多い。教会にあっても、やや規模が小さめだ」と冨田さんは言う。むしろ近現代音楽を得意とする福本さんの方が、日本の新しいパイプオルガンの音色を開拓していくのに向いている印象もある。それでも冨田さんは「日本で古い北ドイツのオルガン音楽を広めていきたい」と意気込む。
日本で演奏していく難しさは何か。「欧州の教会は石造りが多いので、パイプオルガンの響き方が日本とは根本的に異なる。日本では演奏法を少し変えないといけない」。だが日本ならではの利点もある。「日本のコンサートホールに設置されたパイプオルガンは欧州よりもクリアに聴こえる。欧州の大きな教会では残響が長すぎるので、バッハの曲などは響きが濁って聴こえてしまう。日本のホールでは残響で聴きにくいことはないはずだ」と前向きに考える。
ドイツ留学と国際コンクール優勝の成果をどう出していくかもこれからの活動のポイントになる。「北ドイツの音楽は当然ながらドイツ語の知識がないと分からない。何も知らなかった頃よりは、留学し、実際にドイツで演奏しているオルガニストに教わってきた今の方がいいはずだ」と言って笑う。「どんな演奏法であれ、いちばん大事なのは音楽を伝えたいという気持ちだ」と強調する。世界トップクラスの若手オルガニストが相次ぎ登場した今、かつてないオルガンブームが日本に到来しても不思議ではない。
(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)
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