日経ナショナル ジオグラフィック社

2017/8/12

ニクソン氏は言う。「シアン化ビニルはタイタン全体に降り注ぎ、その表面に留まったり、そこで化学反応を起こして長いポリマーの鎖を作ったりすると考えられます。あるいは湖に落下し、水中で自己組織化する可能性もあります」

ダイオウイカ360億匹分?

シアン化ビニルが、地球の生命が持つ細胞に似た構造を作る可能性があるというアイデアは元々、コーネル大学の研究グループが提唱したものだ。彼らはタイタンの大気に含まれる分子のうち10種類ほどを精査し、コンピューターモデルを用いて、そのうちのどれが自己組織化して、アゾトソームと呼ばれる膜のような構造を作る能力を持っているかを調べた。

当時大学院生だったジェームズ・スティーブンソン氏率いる研究チームは、極めて温度が低いタイタンの液体メタンの海において、そうした膜を作る可能性がもっとも高いのはシアン化ビニルであると結論づけた。

シミュレーションによりできたその膜は、地球の細胞膜と同様、強くて柔軟性があり、また生命に必要なその他の成分を中に閉じ込める空洞を持つ可能性を秘めていた。

「(分子は)互いの間にまったく隙間を持てないほどには密集せず、かつ鎖を形成する程度にはくっつきやすい傾向があり、そして鎖の端同士が近くに来たときには『よし、繋がろう!』となる性質を持っている必要があります」と、コーネル大学のポーレット・クランシー氏は言う。

現在までのところ、シアン化ビニルが膜を作れることを証明する実験は行われていない。低温メタンや毒性のあるシアン化物は扱いが難しいほか、タイタンで起きていることを地球上で再現しようとしても、できることはごく限られているからだ。

それでも、シアン化ビニルが理論上、膜に覆われたボールを形成する力を持つという事実は、タイタンにこの物質が大量にあることがわかった今、さらに注目度を増している。量だけを考えた場合、リゲイア海には少なくとも360億匹のダイオウイカを作れるだけのシアン化ビニルが存在する。今回の発見は、新たな探査機をタイタンに向かわせる大きなきっかけとなるかもしれない。

「今はまだ、タイタンの湖を理解するために必要な実験が始まったばかりです」とホルスト氏は言う。「しかし、もう一度タイタンに探査機を送り込むまでは、そこで本当に何が起こっているのかを根本的に理解することはできないでしょう」

(文 Nadia Drake、訳 北村京子、日経ナショナル ジオグラフィック社)

[ナショナル ジオグラフィック ニュース 2017年8月1日付]