「心はいつまでも15歳。大人になりきれない未熟な人間です。男性と遊ぶのは好きですが、結婚生活は想像もできません。誰かを支えてあげたいという気持ちが私には欠けています。だから、一人で生きていくつもりです」
きちんと働いて自立している30代、40代の独身女性を訪ね歩き、恋愛と結婚について語り合う本連載。やや過激な独身主義宣言をするのは、関東地方にある共学の私立高校で教師をしている増山晴美さん(仮名、40歳)です。
「これからの世の中には一人世帯が増えるし、高齢者のシェアハウスも充実するでしょう。最終的にはスイスにある尊厳死団体のお世話になることもできます。安心です!」
晴美さんは黒のノースリーブワンピースがよく似合い、知的で活動的な雰囲気を漂わせる美人です。東京・丸の内にある中華料理店でランチをご一緒にしながら話を聞きました。
晴美さんは「未熟な人間」と謙遜していますが、よくいえば「変に老成&停滞はしていない」ともいえます。仕事にも遊びにも前向き。高校教師という仕事は適職のようです。
「私は子どもが苦手なので、小中学校の教員になることには興味がありませんでした。高校はいいですよ。知識は私のほうがあったとしても、精神年齢は私より大人の子が多いですから(笑)。私が失恋をして元気がなかったとき、いつもはにぎやかなクラスが静まり返っていました。私の気持ちを察してくれたんですね。それでまた悲しくなっちゃったり……。夕方、エクレアを差し入れてくれた優しい女の子までいました」
女子生徒からは妹のように扱われることもある晴美さん。でも、相性がいいのはやんちゃな男子生徒です。たばこを吸ったり無断で早退したりするような不良を拳で殴ったこともあります。無茶苦茶な女性教師ですね……。
「そんな子に限って、卒業式には号泣するんですよ。すごくかわいいです。でも、最近の生徒は元気がないなあ。親に守られすぎて、元気までなくなっている気がします」
バイトのホステスから途上国へ 恋愛は激情タイプ
晴美さん自身は元気いっぱいの10代20代を過ごしてきました。海外旅行の費用をためることが目的で、大学在学中から銀座のクラブでホステスとしてアルバイトをしていたそうです。
「某大企業の御用達のような会員制クラブで、お客さんはみんな紳士的でした。部活みたいなノリで遊んでいましたね。常連さんとはプライベートでも仲良くしていましたが、一対一では会わないようにしていました。食事に誘われたら、後輩の女の子も連れて行けばいいんです。男性としても、女の子が増える分にはうれしいですよね」
教員免許は取得していたものの、卒業後すぐに就職するつもりはなかった晴美さん。そのまま銀座で働き続け、24歳のときに単身、発展途上国に渡ります。日本語学校の教員が足りないと誘われたのがきっかけです。
「数カ月間のつもりが3年も滞在してしまいました。人も食べ物もよくて居心地がよかったからです。現地の言葉を覚えたらますます楽しくなりました」
生命力の強さを感じるエピソードですね。こんな先生が教えてくれたら授業も眠くならずに済みそうです。
帰国後、現在の高校に就職した晴美さん。20代後半は今以上に「激情型」の恋愛をしていたと振り返ります。当時は、3歳上の恋人、秀行さん(仮名)に夢中でした。
「妹に紹介してもらった編集者でした。私は『B専』といわれるほど、相手の見た目にはこだわりません。生き生きと仕事をしている健康的な人なら好きになります。博識な秀行さんのことはとにかく好きすぎて、変なことばかりしていました。約束をすっぽかして困らせて、追いかけてもらおうとしたり……。そんなことをしたら『オレにはもう無理』と振られてしまったんです。ショックで1年間ぐらいは立ち直れませんでした」
まさに激情型ですね。秀行さんのほうにも子どもっぽいところがあり、「似た者同士」だったからこそ激しくひかれ合い、激しくぶつかってしまったのだと晴美さんは分析しています。そんな晴美さんに「自分とはまったく違う」男性との恋が訪れます。ちょうど30歳のときでした。続きはまた来週。
フリーライター。1976年埼玉県生まれ。一橋大学法学部卒業後、ファーストリテイリングに就職。1年後に退職、編集プロダクションを経て02年よりフリーに。著書に「30代未婚男」(共著/NHK出版)、「バブルの遺言」(廣済堂出版)、「私たち『ユニクロ154番店』で働いていました」(ぱる出版)など。電子書籍に「僕たちが結婚できない理由」(日経BP社)。読者の方々との交流イベント「スナック大宮」を東京・愛知・大阪のいずれかで毎月開催中。
ライター大宮冬洋のホームページ http://omiyatoyo.com/
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