旅行・レジャー

耳寄りな話題

食べ物にも三振にも「こだわりなし」 黒田博樹さん 食の履歴書

2017/8/4

1975年大阪市生まれ。97年広島カープ入団、主戦投手として活躍。08年米大リーグドジャース移籍、ヤンキースでも実績。15年に米での20億円超の年俸提示を断り広島復帰、その男気が国民的な話題に。16年広島を優勝に導き、引退。背番号15は永久欠番に。 大岡敦撮影

 基本は和食好きだが、米大リーグ時代は「登板前は必ずこれを食べる」とあえて決めないようにしてきた。海外では食べたい日本食が手に入る保証はなく、逆に大きなストレスになりかねなかったからだ。この順応性の高さこそが強さの秘訣だった。

■子供のころから味より量

 子供のころから食べ物には無頓着だった。元プロ野球選手の父、体育教師の母は酒好きで、食卓に並ぶのは酒のつまみのような料理ばかり。月に1、2回、家族で出かける焼き肉が何より楽しみだった。

 小5で父が監督のチームに入り、中学、高校と野球を続けた時も、食事は「味より量」。ご飯のぎっちり詰まった弁当箱を2つ持ち、それでも足りずに練習後、お好み焼きを食べに寄るのが常だった。

 高校時代は3番手投手で、甲子園にも縁がなかった。専修大学に進み、野球部の寮に入るが、自由におかわりできるのはご飯だけ。量重視の食事は変わらなかった。春秋のリーグ戦の直前に、すき焼きが食べられるのがうれしかった。

 大学4年で素質が開花し、広島カープに入団。2軍の寮に入り、食事のおいしさに驚いた。選手たちが飽きないようにメニューも豊富で「食べることも仕事なんだ」と実感した。開幕直後から1軍に昇格し、初登板、初完投勝利という鮮烈のデビューを飾るが、寮の食事は2軍の方がおいしかった。

■「こだわりのなさ」が米国での活躍に

 どちらかと言えばメンタルは弱い方だ。登板前には胃がきゅっと痛むので、胃薬は手放せない。マウンドに上がる日は、消化のいい炭水化物が不可欠で、午前11時ごろに自宅でうどんを食べて球場に入る。マッサージを受けてまた、うどんを食べる。うどんは遠征先のどこの球場にもあり、胃に負担がかからないのが良かった。

 広島から米ドジャースに移籍する時、ちょっと気がかりだったのは、登板前のうどんが食べられなくなること。実際に渡米すると、球団のクラブハウスの食事は、ホットドッグやハンバーガーなど、日本ではジャンクフードと呼ばれるものばかりだった。

 ここで黒田さんを救ったのが、子供のころからの「食べ物へのこだわりのなさ」だ。うどんが食えないから満足な投球ができない、などという理屈が通るはずもない。米国に来たのだから米国人のようにと、日本では口にしなかったピザも食べた。

 発想を転換したのは食に関してだけでない。野球でもこだわりは捨てた。日本のプロ野球では、先発投手は週1回のペースで登板する。カープ時代は先発完投が当たり前、豪速球で三振を取るのが黒田流だった。米国では先発投手は中4日で登板する。完投にこだわっていては、体が持たない。できるだけ少ない失点で7回まで投げ抜く。球数を減らすため、変化球で打たせて取るスタイルに変え、三振へのこだわりも捨てた。

 ドジャース時代の親友、クレイトン・カーショーさんとは、たまに食事に行った。最初に連れ立って行った焼き肉の店をカーショーさんが気に入り、以来2人での食事は焼き肉が多かった。

■LAのすし屋でヤンキース入り決意

 ドジャースでの4年契約が終わった2011年秋、人生の転機となる食事があった。家族で行ったロサンゼルスのすし屋でのことだ。ドジャースで大活躍をした黒田さんには、複数の米球団から契約のオファーがきていた。実はこの時、黒田さんは日本球界への復帰を決意していた。

 進路が決まり、すがすがしい気分での食事のはずが、何を食べても味がしなかった。楽しいはずの家族との食事が空疎な時間になっていた。自分の決断は間違っているのではないか。いても立ってもいられず、食事を中座し、代理人に電話をした。

 来シーズンどこで投げるのか。広島復帰か米国か。最後まで悩んだのが、ニューヨーク・ヤンキースだった。時差の関係で代理人はまだ広島に復帰の連絡をしていない。今ならまだ間に合う。ぎりぎりのタイミングでニューヨーク行きを決意した。

 ニューヨーク時代は家族をロスに残して単身赴任だった。試合の後、マンハッタンの日本料理店に立ち寄り、時にはカウンターで、時には持ち帰りで食べた日本食が、ヤンキースでの粘投を支えた。

 昨年、惜しまれつつ引退。今は休肝日を作るのに苦労すると笑うほど、好きなものを食べ、酒をたしなむ。相変わらずの和食好き。熱い物を熱いうちにたべる主義なので、自宅では鍋料理が多い。

■焼酎進むノドグロ

 帰国すると、必ず足を運ぶのが、広島市中区のすし屋「なかもと」(電話082・247・2456)。通い始めて十数年になる。

鮨なかもと(広島市中区)の「にぎりの盛り合わせ」と「ノドグロの塩焼き」

 たいがい1人でふらりと現れ、カウンターに陣取る。店主の中本勉さんとの会話を楽しみながら、まずはタイ、スズキ、ヒラメなど地元産の白身魚でビール。子持ち昆布や生アワビも好物で、欠かせない。

 グラスの中身がビールから焼酎に変わるころ、決まって出てくるのが、ノドグロの塩焼きだ。よく脂がのった、ほっこりした身は、こくがあるのに飽きが来ず、焼酎がどんどん進む。

 締めは握りを10貫ほど。やはり白身魚など、さっぱり系のネタが多い。米大リーグで活躍していた時も、オフに帰国し、なかもとのすしを食べるのが楽しみだったという。

■最後の晩餐

 うーん、人生最後に何を食べたいかなんて、考えたこともなかったなあ。これといってない、というのが正直なところだが、強いて言えば、気の置けない仲間と、焼き肉とよく冷えたビールかな。子供のころも、米国でも、何かと言えば焼き肉だったなあ。

(鈴木亮)

ALL CHANNEL