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キャリアの原点

元すし職人、震災で渡米のはずが家具職人に 石巻工房 石巻工房 代表取締役・工房長 千葉隆博氏(上)

2017/7/6

今ならばインターネットで簡単に調べられるんですけれども、当時はそんなことさえ、わからなかったんですよ。「しまった」と思ったけれど、来ちゃったし、もういいかと。

メーカーに就職する道もあったのでしょうけれど、当時の私はそこまで踏み出せない性格と言いますか。ログビルダーになりたい気持ちはあるのに、勇気がなかったんです。キャンプの時と一緒ですよ。寝袋はあっても行かない。ただ想像するだけ。

専門学校を卒業してしばらくの間は、北海道の薬局でアルバイトをしていました。ある日、実家から連絡がありまして、親父の店が入っていたビルが取り壊されることになり、近くに新しい店を建てることになった。「お前、せっかく建築のことを習ったんだったら手伝え」と言われて、石巻市へ戻ることに。そこから約20年間、父の店ですし職人として働きました。

■親父の店で働くのはしっくりこなかった

なんとなく、しっくりこなかったんです。オヤジの店ですし、お客さんも結局、オヤジに付いているわけですね。好きだったら、自分からすすんでいろいろとすしのことを勉強したんでしょうが、「2代目だし、しょうがねえな」という中途半端な気持ちで手伝っていましたから、モチベーションも上がらなかったんです。

そうやって過ごしていたところに、東日本大震災が起こった。その時に、忘れていたキャンパー魂がよみがえってくる瞬間がありました。

実家の1階は津波で水浸しになりましたが、かろうじて2階は大丈夫だった。電気が止まったので、ぬれたストーブをなんとか使える状態にして温まったんです。親父が健康マニアでしてね、温泉水をポリタンクにくんで飲んでいたもので、とりあえず水は確保できた。それと、うちの隣がたまたま燃料店だったもので、灯油のポリタンクがその辺にプカプカ浮いていたんです。

いわゆるサバイバル術じゃないですけれども、そこからは、あるものでなんとか暮らしていく状態をしばらく続けざるを得なくなりました。

石巻工房の「ISHINOMAKI BENCH」

家具作りに出会ったのもその頃です。商店街の一角に、自分たちで使う家具を自分たちで作ろうと活動しているグループがいた。もともと手を動かして何かを作るのは好きですから、どうせ暇だしと思い、その人たちと一緒に家具を作り始めたんです。

店も被災したし、これから先どうしようかと考えていたところ、うちの奥さんが「米国ですし職人を募集している」という話を聞きつけてきた。しかも家族で来られる人が条件だ、と。たまたまラジオで聞いた話だったのですが。

■ワーキングビザを申請するも、許可下りず

今にして思うと妙な考えなのですが、あの時は「このまま石巻にいてもどうなるかわからないし、こりゃちょうどいいや、と。いっそ家族みんなで米国へ行こう!」と盛り上がり、応募することにしたのです。ワーキングビザも申請し、結果が届くのを待っていました。

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