原発事故に遭遇 過疎地弁護士、子育てしながら支援弁護士・松本三加氏が語る(下)

福島県で、仲間の弁護士とともに、原発事故被害者の支援活動を続ける松本三加弁護士(43)は、「女子御三家」の女子学院(JG、東京・千代田)の出身。中高一貫教育を通じ、世間の価値観に流されずに自分らしく生きることの大切さを学んだ少女は、やがて弁護士となり、自ら進んで弁護士過疎地に赴くことになる。

女性弁護士の講演を聞き、弁護士になる決意をした。

高2の秋の文化祭で、ある女性弁護士が講演しました。その方のお名前も話の内容もまったく覚えていないのですが、話のテーマは確か、女性の人権に関することだったと記憶しています。それまで、自分が将来どんな職業に就くのか真剣に考えたことは一度もありませんでしたが、その方の話を聞いて初めて、具体的な進路が見えてきました。それで大学は法学部に進もうと決めました。

きっかけは弁護士の講演でしたが、女子学院での様々な体験が職業選択に影響を与えたのは間違いありません。

記憶に残っているのは、中1のときにあった「橋のない川」の著者、住井すゑさんの講演でした。それまで被差別部落の話など聞いたことがなかった私には、大ショックでした。それをきっかけに「橋のない川」を全巻読み、差別の問題を自分なりに考えたりしました。また、高1のときには学校の旅行で広島に行き、被爆について学びました。キリスト教自体、日本では虐げられてきた歴史があるだけに、学校も差別の問題について学ぶことを重視していたのでしょう。差別や権利の問題を学ぶうちに、将来はそうした問題にかかわりたいという気持ちが、自然と心の中に芽生えたのだと思います。

高2の秋から本格的に受験勉強に取り組み始め、塾にも通いました。塾での成績は結構よく、塾の先生からは東京大学受験を強く勧められました。でも、自分には少人数でこぢんまりとしている一橋大学のほうが向いているのではないかと考えました。お世話になった女子学院の先生の勧めもあって、結局一橋大学を受験しました。

在学中に司法試験に合格し、弁護士としてのキャリアを歩み始める。

前回述べたように、私の弁護士としてのキャリアは、無弁護士地域の解消を目指すために開設された「紋別ひまわり基金法律事務所」(北海道紋別市)への赴任で始まりました。東京生まれでしたが、北海道に赴任したのは自分らしい選択だったと思っています。