トヨタ宮内プレジデント 国道248超えたカンパニー制
約1年前に社内カンパニー制を導入したトヨタ自動車。7つのカンパニーを設け、各カンパニーのトップが製品企画から生産まで責任を負うようになったというが、どんな結果が表れてきているのか。ヴィッツ ハイブリッドの試乗会で、トヨタコンパクトカーカンパニーの宮内一公プレジデントを小沢コージが直撃した。
組織改革で変わった「開発」と「生産」の意思疎通
先日、千葉県で行われたトヨタ「ヴィッツ ハイブリッド」試乗会。小沢は幸運にもなかなかお目にかかれない重鎮を直撃できた。現専務であり、2016年4月の大組織改革、7カンパニー体制で生まれた「トヨタコンパクトカーカンパニー」の宮内一公プレジデントである。
はたしてカンパニー制導入は一体どういう危機感の表れだったのか。トヨタのどこが変わったのか。普段聞けない話を率直にうかがうことができた。
◇ ◇ ◇
小沢コージ(以下、小沢) まさか新車試乗会で宮内さんとお話できるとは思いませんでしたが、ぶっちゃけ7カンパニー制であり、コンパクトカーカンパニーの導入で何が変わったのでしょうか?
宮内一公プレジデント(以下、宮内) 大きなところでは「開発」と「生産」の意思の疎通具合が違ってきました。
たとえば開発がボディー設計でボディー剛性を上げたいとなれば、「スポット溶接の打点数を増やしたい」し、「レーザー溶接もやりたい」となります。
しかし生産現場では、逆に原価を下げられるようにシンプルな工程にしたいから「変更は最小限にしていきたい」とか、逆に「工程は減らしたい」というようなぶつかり合いが生じます。
小沢 なかなか利害が一致しないわけですね、開発と生産現場では。
宮内 カンパニー制導入前まではコンパクトカー、ミッドサイズビークル、コマーシャルビークル、レクサス、パワートレーン、コネクティッドといったジャンル分けがなされておらず、開発は開発で組織があり、生産は生産で組織がありました。生産の中でもプレス、溶接、塗装、組み立てとすべて分かれていて、それぞれ大所帯になっていたんです。もっとも、2011年の地域主体経営、2013年のビジネスユニット制の導入で相当横串が通るようにはなっていましたが。
小沢 いわゆる縦割りの弊害ってヤツですよね、大企業にありがちな。
宮内 カンタンに言うとそうで、なにしろ生産一筋で36年生きてきた僕自身、36年間、国道ニーヨンパー(国道248号線。トヨタの研究所と工場を間の国道)を超えて異動するとは思ってもみませんでしたから(笑)、恥ずかしながら。
小沢 豊田市で隣り合う技術開発部門と生産部門は遠い存在だったということですよね。担当者と話をすることはあっても。でもそれはそれでかつては必要だったんですよね。
1980~1990年代は専任組織が逆に強みだった
宮内 僕が入社した1980年代は、トヨタの年間生産台数が300万台ぐらいになったころで、技術的にもまだ発展過程。国内メーカーはもちろん、特に欧州メーカーに追い付け追い越せで、そういう組織が必要だったんです。
小沢 エンジンならエンジン、ボディーならボディー、溶接なら溶接と専門家がそろっての技術開発に必死だったわけですよね、クラウン、カローラの分け隔てなく、いわば部門ごとに徹底的に技術を追い込んでいった。
宮内 徹底的に欧州をベンチマークにしていましたし、それが逆にわれわれの強みだったと思うんです。だけど、いつまでもその強みが通じるわけではなく、ましてやIT企業もこれだけ参入して開発スピードが上がっていくなかでは、これまで通りのやり方ではどうしてもコミュニケーションに時間がかかり過ぎてしまう。
小沢 1000万台レベルになって端的な技術進化の時代は終わり、よりきめ細かいモノ作りであり、開発スピード重視の時代が到来してきたと。
宮内 初代「プリウス」が発売された1997年、年間販売台数500万台ぐらいのころは、組織もフラットだったと思います。それがあるときから年間50万台ずつ生産量が増えていき、各部がどんどん細胞分裂して部長の数も増えていく。僕が入社した時期はインパネやバンパーを作る「化成」「樹脂の塗装」「組み立て」などすべてを「第3生技(生産技術)」という一つの部でやっていましたが、今は全部分かれています。
小沢 生産増加と技術進化の過程で、組織がどんどん細胞分裂していくんですね。面白いですね。組織って生き物なんだ。
年1~2回だった担当者会議が1日1~2回に
宮内 その通り。つまりその結果どうなっていたかというと、極端な話、組み立てとエンジンの生産技術同士で話し合うのに担当役員を通さなければならない。担当者同士ではなかなかすぐに話せないし、ましてや開発と生産だとなおのこと遠いわけです。
小沢 ゴールがハッキリしているメーカーだけに、官僚組織ほど硬直しないと思いますけど、明らかにムダが多いですね。
宮内 現実にはさすがに役員ではなく、部長同士が話して物事を決めるようになるんですけど、やっぱりそれぞれ部ごとのメンツを背負っていくわけです。互いの組織の原理を背負っていく。
小沢 細分化していってスペシャリスト化していたわけですね。するとプロ化して、技術力も上がるけど個々に「いいクルマを作る」ってゴールが遠くなるという。「安くていいプリウスを作る」「カッコ良くてキモチ良いクラウンを作る」みたいな。
宮内 そこで車のセグメントごとに分けたのが2016年の組織変更ですが、今のように製品企画の担当と、新車進行管理の担当が同じビルにいるなどということは、かつてなら考えられなかったことです。月1~2回くらいだった担当者同士の会議が、今は1日1~2回になっていますから。
小沢 年齢、学年単位だった小学校のクラス分けがサッカー部、テニス部、書道部と目的ごとに分けられたようなものですね。開発スピードも上がるわけだ!
宮内 今のコンパクトカーカンパニーでは部長ミーティングがあって、デザイン、ボディー設計、実験、シャシー設計、電子設計、チーフエンジニアの部長が毎週集まるんです。組織変更から先日までですでに45回目を迎えていて、その数は今までのザッと数十倍。これは画期的ですよ。
小沢 本当ですね。
宮内 ひとつ言えるのは改革は豊田章男社長がいなければ絶対できなかったということ。やはり社長が「もっといい車を作ろう」と言い続けたからできた部分は確実にあります。
小沢 ところで宮内さんは今の立場になって、どの部署に最初に行かれましたか?
宮内 やっぱりデザインですよ。生産現場にいるときは直接行けませんでしたから。企画づくり、デザインに始まり、鉄板のプレスから組み立てまで全部を通して1台のクルマに関われるなんて、こんなに楽しいことはないですね。クルマの会社に入社して初めてクルマを作る実感が持てている気すらします。
小沢 それは……分かる気がします。僕も自分で雑誌を印刷したり、本屋さんになったりする気持ちは味わえていませんから(笑)。
自動車からスクーターから時計まで斬るバラエティー自動車ジャーナリスト。日経トレンディネット「ビューティフルカー」のほか、『ベストカー』『時計Begin』『MonoMax』『夕刊フジ』『週刊プレイボーイ』などに寄稿。著書に『クルマ界のすごい12人』(新潮新書)『車の運転が怖い人のためのドライブ上達読本』(宝島社)など。愛車はロールスロイス・コーニッシュクーペ、シティ・カブリオレなど。
ワークスタイルや暮らし・家計管理に役立つノウハウなどをまとめています。
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