25年前の真珠湾演説 父ブッシュ渾身の融和メッセージスタンフォード大 デビッド・デマレスト氏に聞く

デビッド・デマレスト氏(中央)はブッシュ陣営の選挙対策広報部長として1988年、92年の大統領選にかかわった
デビッド・デマレスト氏(中央)はブッシュ陣営の選挙対策広報部長として1988年、92年の大統領選にかかわった

安倍晋三首相は、今月26日と27日にハワイを訪れ、75年前の旧日本軍による真珠湾攻撃の犠牲者を米国のオバマ大統領とともに慰霊する。今回の訪問へとつながる道筋をつけたのが、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領(当時)だ。ブッシュ大統領は、1991年12月、真珠湾で「日本に対して何の恨みも抱いていない」と演説し、日米関係の戦後史を憎悪から融和へと転換させたと言われている。この演説を作成したのが当時、広報担当大統領補佐官だったデビッド・デマレスト氏だ。どんな思いで歴史的な「融和演説」を書いたのか、同氏に聞いた。(聞き手は作家・コンサルタントの佐藤智恵氏)

スタンフォード大 デビッド・デマレスト氏

ブッシュ政権で1300のスピーチ原稿書く

佐藤:デマレスト先生は、ブッシュ(父)政権下の88年から92年までの4年間、米ホワイトハウス広報担当大統領補佐官を務めました。ホワイトハウスでは、自らスピーチを書くこともあったのでしょうか。

デマレスト:書くこともありましたよ。もちろん、普段は優秀なスピーチライターのチームにまかせるのですが、大統領専用機の中で誰も書く人がいないときなどは、私が書きました。

佐藤:大統領は通常、どの程度、スピーチの作成に関わりますか。

デマレスト:スピーチによりますね。私自身は4年間で1300のスピーチを作成しました。

佐藤智恵(さとう・ちえ) 1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。「ハーバードでいちばん人気の国・日本」など著書多数。

佐藤:1300もあるのですか!年平均にすると325。ほぼ1日1つは作成する、というペースですね。

デマレスト:どんな短いスピーチでも、大統領が話せば大統領演説です。外国を訪問すれば、到着後、すぐにスピーチをしなくてはなりません。それが2分でも3分でも、一般教書演説と同じように、入念に吟味し、何度も確認しなくてはならないのです。

佐藤:大統領は全部、自らチェックされるのですか。

デマレスト:あまりにも数が多いので、全部のスピーチの作成に関わることはありませんが、重要な演説については、本人が内容を確認します。年に1回、連邦議会で行う一般教書演説は、本人が全文チェックして修正しますし、リハーサルもやります。

ブッシュ大統領ほどの適任者はいない

佐藤:ブッシュ(父)政権下で、デマレスト先生はいくつも歴史的な演説を作成されました。中でも、1991年12月、ブッシュ大統領が真珠湾攻撃50周年式典での演説は、「融和演説」とも言われ、戦後の日米関係史の分水嶺になったと高く評価されています。特に、下記の部分が、有名です。

私はドイツに対しても日本に対しても何の恨みも持っていません。憎悪の気持ちなど全くありません。真珠湾攻撃により多くの人々が犠牲になりましたが、このようなことが二度とおこらないことを心から願っています。報復を考えるのはもうやめにしましょう。第2次世界大戦は終わったのです。戦争は過去のことなのです。
 私たちは戦争に勝ちました。全体主義を打倒しました。打倒した後は、敵国に民主主義が根付くための支援をしました。ヨーロッパとアジアの敵国に手を差し伸べ、友人として迎え入れました。かつての敵の傷を癒やすことによって、私たちの国も繁栄してきたのです。
(出所:米海軍公式HP:http://www.navy.mil/navco/pages/2001/01pg-017-ph-bush120791.htm、筆者訳)

この演説があったからこそ、オバマ大統領の広島訪問も実現した、と言われていますが、なぜ真珠湾攻撃50周年記念式典で、このような演説をすることになったのでしょうか。

デマレスト:多くのアメリカ人にとって、第2次世界大戦はつらい体験でした。しかし、真珠湾攻撃から50年がたち、そろそろ憎悪の気持ちに区切りをつけることができるのではないか、という機運が政府内で高まっていたのです。それを国民に訴えかけるのに、ブッシュ大統領ほど適任者はいませんでした。第2次世界大戦に従軍した経験がある大統領自身が、自らの言葉で融和を語れば、これ以上の説得力はないだろうと考えたのです。

佐藤:ブッシュ大統領は自ら海軍に従軍し、太平洋戦線で日本軍と戦いました。日本軍に撃墜され、命からがら生還した経験もあります。このような目にあったにもかかわらず、日本に対して「何の恨みも抱いていない」というのは、とても重い言葉だと思いました。

デマレスト:実は、ずっと大統領は、公式の場で日本との和解を表明したいと考えていたようです。1989年、大喪の礼に参列するために日本を訪れた際にも、「敵国同士だって、親友になれることを日米両国で示していこう」と発言したのを私はとてもよく覚えています。ところが、この発言は当時、物議を醸しました。第2次世界大戦で戦った退役軍人から猛烈な反発を受けたのです。

佐藤:ブッシュ大統領は、共和党の支持基盤である退役軍人の反発を押し切って、昭和天皇の大喪の礼に参列したそうですね。

デマレスト:そうです。そこで1991年の真珠湾50周年記念式典では、退役軍人のことを気遣いながら、あらためて日米の融和関係を強調する演説をすることにしました。

佐藤:デマレスト先生が、この演説で最も伝えたかったことは何ですか。

デマレスト:この演説は私だけで作成したものではありません。演説の作成には多くの人々が関わりました。ブッシュ大統領をはじめ、国務長官、アメリカ国家安全保障会議のメンバーなど、誰もが真珠湾50周年記念式典を「日米関係の融和と新たな友好関係の始まりを表明する場にしたい」と考えていました。

私たち広報チームの仕事は、こうした人々の気持ちを結集させることでした。「第2次世界大戦は終わった。今は新しい世界なのだ」というメッセージを強調した歴史的な演説にしたい、という思いで草稿を書き上げました。草稿を提出すると、ブッシュ大統領自ら何度も推敲(すいこう)し、完成させたのです。

オバマ大統領の勇気、ブッシュ氏とも通じる

佐藤:今年、オバマ大統領が広島を訪問し、歴史的な演説をしました。広島演説をどのように評価しますか。

デマレスト:素晴らしい演説でした。戦争を終結させるのに、原爆投下が正しい方法であったのか、という議論には賛否両論あります。しかし、核兵器の廃絶に向けて、何らかの対策を講じなければ、世界は危機的な状況に陥るのは明らかです。核兵器の廃絶が、世界にとっての重要課題であることをあらためて啓発する、歴史的な演説であったと思います。

佐藤:オバマ大統領と彼の広報チームも、ブッシュ大統領の真珠湾演説と同じように、「第2次世界大戦は終わった。今は新しい融和の世界なのだ」というメッセージを伝えたかったと思いますか。

デマレスト:演説そのものもそうですが、オバマ大統領が広島を訪問した、という行為そのものが、大統領や大統領のチームの気持ちを象徴していると思います。それは退役軍人の反対を押し切って大喪の礼に参列したブッシュ大統領についても同じです。いずれも勇気ある行動であったと私は思います。

デビッド・デマレスト(David F. Demarest) スタンフォード大学広報部バイスプレジデント及びスタンフォード大学経営大学院講師。専門は組織行動学。同校のMBAプログラムでは選択科目「政治コミュニケーション:いかにしてリーダーはリーダーとなるのか」を教えている。1988年のアメリカ大統領選挙では、ジョージ・H・W・ブッシュ陣営の選挙対策広報部長、ブッシュ政権下の1988年から1992年までの4年間、米ホワイトハウスの広報部長(広報担当大統領補佐官)を務めた。ホワイトハウスでは、大統領スピーチの作成から、広報、メディア対策、政府間コミュニケーションまで、幅広い部門を統括。1989年、大喪の礼の際にはブッシュ大統領とともに来日した。退官後は、バンク・オブ・アメリカ、ビザ・インターナショナルにて広報担当役員を歴任し、2005年より現職。

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