『木の上の軍隊』 井上ひさしの遺志継ぐ沖縄劇
戦後は終わったというけれど、終わらぬ戦後を抱え、うめき声をあげている地域が今なおある。沖縄だ。その悲しみを土地の言葉のイントネーションや歌の響きで痛切に伝えてくる舞台に出合った。再演で練り上げられたこまつ座の「木の上の軍隊」は演劇界の中核的演出家、栗山民也の近年の代表作といえるだろう。
演劇で最も強い力をもつのは身体のわななきではないか。言葉はきれいに整然と話されるから、真意が伝わるのではない。片言の言葉、時には沈黙が劇的な力をもって迫ってくることがある。どうしても伝えたい、でも伝えきれない。そのもどかしさから生まれる体の震えは身体芸術である演劇をただならぬものにする。初演時に演劇賞を総なめにした在日コリアンのドラマ「焼肉ドラゴン」(鄭義信作・演出)がそうだったように。
6年前に亡くなった井上ひさしの幻の構想をもとにしたこの「木の上の軍隊」がまさにそれ。セリフの巧者、蓬●(草かんむりの下に来)竜太の台本は苦心の力作であり、これに栗山民也が沖縄の透明な悲しみを宿らせる。能を思わせる、そぎおとされた演出をこのところ試みてきた栗山のひとつの到達点でもあろう。
第2次世界大戦末期、米軍の激烈な砲弾を浴びる沖縄の伊江島。ガジュマルの茂みに逃れ、敗戦の事実を知らぬまま戦後1年以上も「樹上生活」を送る2人の兵士と木の精のような「語る女」が登場人物である。皇軍兵士の「上官」は3年前の初演に続き山西惇だが、地元沖縄の「新兵」は藤原竜也から松下洸平に替わり、片平なぎさだった「語る女」は沖縄出身のシンガー普天間かおりが演じる。沖縄の言葉(ウチナーグチ)の指導を受けた松下の懸命の言葉づかい、普天間のソウルフルな歌唱が沖縄の空気を濃厚に呼び寄せ、初演をはるかに超える切迫感を舞台にまとわせる。
地面に降りることもあるとはいえ、傾斜した樹上で演技するのは役者にとって大変。残飯をあさり、毛布を着服し、新婚の夜を回想するといった話が続くが、動きは少ない。進行役の「語る女」を加え、言葉だけで展開する語りものの演劇といえる。栗山演出の常連、山西に人の良さがにじむのは持ち味だが、今回はその裏にあるかたくなな国家の論理を強いハラで演じた。松下はナイーブな資質が際だち、必死さがとてもいい。普天間は滑稽と神秘的な歌唱と行ったり来たり、抜群の味だ。芸能の島、沖縄の心情が声から自然にかもしだされる。絶えない波の音、セリフの間を刻むバイオリン独奏(有働皆美)が沖縄の虚空を感じさせる。
仲が良さそうな2人の兵士は生存のため、互いに殺意を秘めつつ不思議な共存を続ける。が、次第に溝が明らかに。性愛は人間にとって大切なものか、戦争の妨げなのか。樹上からみる基地の拡大は戦争の継続なのか終結なのか。皇軍は沖縄の破滅を本当に悲しんでいるのか。「上官」と「新兵」の対話は今日にまで通じる「本土」と「沖縄」のかみあわぬ応答の似姿ともなっていく。いわば国家の論理を前面にたてた「知」と、生の喜びを抱きしめる「情」との対立。下に立つ沖縄の「新兵」はそれでも上に立つ「上官」に「信じています」と純なる心情をしぼりだす。そのたどたどしい響きが胸を射る。
こうした劇の図式を能の演劇性によって縁取ったのが栗山演出の面白さである。舞台を圧するガジュマルの巨樹は歌舞伎でいえば「藤娘」や「紅葉狩(もみじがり)」の松の大木。神の宿る巨樹は本土なら松だが、沖縄でいえばガジュマルだ。能舞台にさかのぼる歌舞伎の松羽目物をおそらくは意識したセットであろう。うろが目につき、人のシルエットをのみこみそうなガジュマルと白砂の対称。松井るみの美術が強烈なイメージを発する。初演時、新兵が相手を上官と呼ぶのに違和感を覚えたが、再演では別の感興に変わった。「上官」が本土、「新兵」が沖縄を象徴する無名の幽霊とみれば、これに木の精がからむドラマは、実に現代能といえるだろう。
戦場を回想するシーンで2人は一気に客席に踏み出す。これは修羅能で武者が悲惨な戦場を再現する「舞」でもあろうか。声色の工夫、朗唱、停止の姿勢の緊張、バイオリンの弦の震えなど、能の感動を演劇活動の起点におく栗山は研究してきた手法をこの再演で総合的に現代化している。これまでの舞台では生硬になりがちだった様式性が柔らかいウチナーグチの調子によって溶かされているのが心憎い効果。ユニークな成果を沖縄のイントネーションがもたらしたのである。
むろん舞台と激しく共振するのは、基地問題で揺れる「沖縄の今」である。再演に新作に近い鮮度があった理由に、沖縄問題の深刻化を挙げねばならないのはつらいことだ。この舞台がおそろしくさえあるのは、題材が実話に発しているから。樹上で終戦を知らぬまま潜伏した沖縄の兵士の息子を今回、普天間と松下は伊江島に訪ねている。沖縄の悲劇と自然の宇宙が混然となる実録の迫力がドラマの背景にはある。次回の上演ではセリフの「沖縄化」を進め、本土と沖縄の言葉の応答をより鮮明にしても面白いだろう。
広島の被爆の悲劇「父と暮らせば」を書いた井上ひさしは長崎の被爆、沖縄戦の悲惨を加えた5部作にまとめる構想を抱いていた。最後の仕事と思っていただろう。生きていたら、今月82歳になっていた。平和を希求した作家の遺志がこの舞台には確かに宿っている。11月27日まで、東京・紀伊国屋サザンシアター TAKASHIMAYA。
(編集委員 内田洋一)
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