クリントン×トランプ あの言葉が討論の勝敗を決めた!スタンフォード大 デビッド・デマレスト教授に聞く(下)

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11月8日に投票日が迫る米大統領選挙。その結果に最も大きな影響を与えると言われているのがテレビ討論会だ。どのテレビ討論会にも勝敗を決める「決定的瞬間」があるのだ、とスタンフォード大学のデビッド・デマレスト教授は言う。それはほんの数分で、思いもかけぬときに訪れ、その前後の戦況を一変させてしまうぐらいの威力を持つ。

どんな場面が「決定的瞬間」なのか。テレビ討論会の歴史とともに、デビッド・デマレスト教授に聞いた。(聞き手は作家・コンサルタントの佐藤智恵氏、文中敬称略)

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デビッド・デマレスト(David F. Demarest) スタンフォード大学広報部バイスプレジデント及びスタンフォード大学経営大学院講師。専門は組織行動学。同校のMBAプログラムでは選択科目「政治コミュニケーション:いかにしてリーダーはリーダーとなるのか」を教えている。1988年のアメリカ大統領選挙では、ジョージ・H・W・ブッシュ陣営の選挙対策広報部長、ブッシュ政権下の1988年から1992年までの4年間、米ホワイトハウスの広報部長(広報担当大統領補佐官)を務めた。ホワイトハウスでは、大統領スピーチの作成から、広報、メディア対策、政府間コミュニケーションまで、幅広い部門を統括。1989年、大喪の礼の際にはブッシュ大統領とともに来日した。退官後は、バンク・オブ・アメリカ、ビザ・インターナショナルにて広報担当役員を歴任し、2005年より現職。

佐藤:アメリカの大統領選挙の結果を大きく左右するテレビ討論会ですが、そもそもテレビ討論会というのは、どのように進化してきたのでしょうか。

デマレスト:テレビ討論会にはそれほど長い歴史があるわけではありません。始まったのは1960年です。1964年、1968年、1972年の大統領選挙では開催されなかったのですが、1976年に復活しました。その後、恒例となり、現在に至ります。

テレビ討論会はテレビ放送とともに進化してきました。テレビは1950年代に急速に普及し、1960年には全米のほぼすべての家庭に行き渡っていました。そこにテレビ討論会が開催されたのです。第1回のテレビ討論会は、ジョン・F・ケネディ対リチャード・ニクソンで、全米に生中継されました。大統領を2期つとめたアイゼンハワー大統領の次を決める選挙で、新しい候補者2人の対決となったわけです。

ケネディ対ニクソンのテレビ討論会を見ると、現在の討論会とはかなり違うことがわかります。一つ一つの発言が長いですし、司会者の質問に対する答えも思慮に富んだ内容となっています。お互いを尊重しながら、非常に深い政策論議が繰り広げられているのです。相手の意見に対して批判しても、言葉遣いやトーンが今の中傷合戦とは全く違うのです。

佐藤:それがなぜ中傷合戦ショーに変わってしまったのでしょうか。

デマレスト:1960年代から現在に至るまでの間に、私たちのコミュニケーション環境は劇的に変わりました。特にここ20年はソーシャルメディアの進化によって、コミュニケーションスタイルも変わってきています。

候補者はできるだけコンパクトに意見を言わなくてはなりませんし、短い時間でインパクトを与える発言をしなくてはなりません。長く発言すると、「誰かが書いた原稿を覚えてきて言っているだけだ」と思われますし、視聴者にあきられてしまうからです。

◇最初の質問で勝敗が決まった「ブッシュVSデュカキス」

佐藤智恵(さとう・ちえ) 1992年東京大学教養学部卒業。2001年コロンビア大学経営大学院修了(MBA)。NHK、ボストンコンサルティンググループなどを経て、12年、作家・コンサルタントとして独立。「ハーバードでいちばん人気の国・日本」など著書多数。

佐藤:デマレスト教授は、ジョージ・H・W・ブッシュ陣営の広報部長として、1988年と1992年、2回、テレビ討論を経験されています。1988年は対マイケル・デュカキス、1992年は対ビル・クリントンでした。1988年は勝利、1992年は敗北、という結果でしたが、テレビ討論会の勝敗を決めるものは何なのでしょうか。

デマレスト:テレビ討論会を分析する際、我々が注目するのは、「どこが決定的瞬間(Defining Moment)だったか」という点です。決定的瞬間には3つの特性があります。1つめは、人々を納得させるストーリーがあること(narrative)、2つめが人々に強烈な印象を残すこと (conspicuous)、そして3つめが、そこだけ切り出してニュースにしても、候補者の本質を理解できること(extractable)です。

佐藤:1988年の「ジョージ・ブッシュ対マイケル・デュカキス」は歴史に残るテレビ討論会でしたが、討論会に向けて、どのような戦略を立てましたか。

デマレスト:とにかく「ぶれない」ことです。すでにデュカキスは劣勢でしたから、私たちはさらに優位に立とうと特に2つの点を攻撃することにしました。1つはデュカキスが死刑制度について反対していたこと、もう1つは、デュカキスの政策が現実よりも理論を重視していて、実社会での経験に裏打ちされていないことです。

佐藤:そのような戦略が功を奏し、1988年のテレビ討論会で勝利をおさめるわけですが、この討論会での「決定的瞬間」はどの場面でしたか。

デマレスト:第2回討論会(1988年10月13日)の最初の質問です。CNNのバーナード・ショーがデュカキスにこう聞きました。「知事、もしキティ・デュカキス(妻)がレイプされ殺害されたとしたら、犯人に対して死刑を望みますか」。その場にいた私たちは凍りつきました。「なんてひどい質問なんだ」と。それに対してデュカキスはこう答えました。「私は死刑を望みません。私は生涯、死刑制度に反対してきました。死刑制度が凶悪犯罪の抑止力になるという証拠はありませんし、他にもっと効果的な方法があるのではないかと思います。」その様子はまるでロボットようで、その場にいた私たちも報道関係者も、最初の質問でデュカキスは終わった、と思いました。

佐藤:どのように言えば、これほど致命的にならなかったのでしょうか。

デマレスト:「それはひどい質問ですが、お答えしましょう。もちろん私の愛する妻にそのようなことが起これば、私だって犯人を殺したいと思うでしょう。でもそのために法律があるのではありませんか」こんな感じで答えれば、血が通っていない人間には見えなかったでしょう。でも彼の答え方があまりにも妻に対する思いやりに欠けていたために、この後、何を話しても無駄でした。

◇クリントンの天賦の才能に負けた「ブッシュVSクリントン」

佐藤:1988年での討論会ではデュカキスに勝利したブッシュ大統領ですが、1992年の討論会(対ビル・クリントン)では苦戦します。このとき、勝敗を決めた「決定的瞬間」はどのような場面でしたか。

デマレスト氏(中央)はブッシュ陣営の選挙対策広報部長として1988年、92年の大統領選にかかわった

デマレスト:第2回のテレビ討論会(1992年10月15日)です。このときは、ビル・クリントンとロス・ペローとの3者討論でしたが、ブッシュ大統領は本領を発揮できませんでした。なぜなら、クリントンがあまりにも優れたコミュニケーターだったからです。彼は視聴者の心を瞬く間に捉えてしまいました。

タウンホールで行われたテレビ討論会では、会場にいる有権者が質問する時間が設けられていました。そこでアフリカ系アメリカ人の女性がこんな質問をしました。「米国の借金はどのように皆さん個人の生活に影響を与えてきましたか。正直言って、生活に困っていない皆さんが、庶民の家計の問題を本当に解決できるのでしょうか。お金に困ったことのない人の気持ちなど分からないでしょう?」と。

佐藤:それに対して、ブッシュ大統領とビル・クリントンはどのような回答をしたのですか。

デマレスト:実のところブッシュ大統領は、この女性の置かれていた境遇を本当の意味で理解できていませんでした。ですから最初に「質問の意味がわからない」と言ってしまい、「ホワイトハウスにいれば情報は得られる」というようなことを答えて、あまりよい回答ができなかったのです。

一方、クリントンは、ボディーランゲージを使って、全身で彼女への思いやりを示しました。クリントンが答える段になると、彼は、すぐさま壇上から降りて、その女性のところまで近寄っていき、彼女の目をしっかりみて、こう言ったのです。「もう一度、あなたが置かれている状況を説明してもらえませんか。仕事や家を失った人々を代弁して、質問されているんですよね」と。それはまるで私はあなたの問題を解決するために存在しますよ、と言わんばかりでした。ブッシュ大統領が壇上から答えたのとは大違いです。そのあとの回答も思いやりに満ちた素晴らしい内容でした。

この瞬間が決定的瞬間でした。多くの視聴者はここで、クリントンという人物は生活に困っている有権者の気持ちを分かろうとしてくれる人なんだ、と共感しました。そこで、勝敗が決まってしまったのです。

佐藤:決定的瞬間には3つの特性があるとおっしゃいましたが、この場面を3つの特性(ストーリー性、強烈な印象、ニュース性)から分析するとどうなりますか。

デマレスト:有権者は「ジョージ・ブッシュというのはこういう人物に違いない」「裕福なブッシュ大統領は庶民の気持ちなんて分からない」という先入観を持って討論を見ていたわけです。そこにあの場面です。アフリカ系アメリカ人女性の質問に、通り一遍の回答。あー、やっぱりと納得した瞬間です。(ストーリー性)。

この場面はその後の議論を決定づけるほどの強烈な印象を残しました。(強烈な印象)。

そしてクリントンのボディーランゲージを含め、この短いやりとりだけ切り出してニュースにしても、人々は候補者の本質を理解することができますし、実際、この場面ばかりがニュースで取り上げられました(ニュース性)。だからこそ、第2回討論会のこのやりとりは、テレビ討論の勝敗を決めた決定的瞬間となったのです。

佐藤:ビル・クリントンは有権者の心をつかむことにたけていた、とのことですが、これは生まれつきの才能ですか?

デマレスト:そうです。彼はもともと優れた社交家であり、他人の気持ちに共感することができる政治家でした。有権者との距離感は人それぞれですが、彼は瞬時に人の心をつかむことができる人でした。

実はブッシュ大統領もホワイトハウスではとても人気のある大統領でした。我々スタッフや関係者とも常に良好な人間関係を築いていましたし、大統領執務室で彼とミーティングをした人たちは皆、感銘を受けて、彼は素晴らしい人物だと言っていました。大統領は、私たち広報官が望む大統領像にとても近い人格者で、アドバイスすることもほとんどなかったぐらいだったのです。ところが、あのテレビ討論の場では、彼の良さを発揮できませんでした。クリントンの天賦の才能にはかなわなかったのです。

佐藤:選挙スタッフがどれだけ助言しても、決定的瞬間は避けられないということですね。

デマレスト:助言して変えられることは少ないと思います。我々の助言は、テレビ討論会の場では無力であることが多いのです。

◇「ヒラリーVSトランプ」の決定的瞬間は?

佐藤:ビル・クリントンが有権者の心をつかむ天才である一方、ヒラリー・クリントンは、それができなくて苦労している、というのは面白いですね。アメリカでは「ビルのことを一生懸命マネするけれど、うまくできないヒラリー」というのをパロディーにしたコメディー番組が放送されていましたが、今回の討論でも、相当入念に準備したことがうかがえます。ヒラリー・クリントン対ドナルド・トランプの第1回テレビ討論では、どこが決定的瞬間でしたか?

デマレスト:90分間の討論で何回かありました。決定的瞬間というのは1回とは限らないのです。たとえば、クリントンが、「私は大統領になる準備をしていたのだ」(I prepared to be President)と言った場面です。トランプはクリントンに対して、遊説もしないでテレビ討論の準備ばかりしていた、と非難しましたが、それに対して、彼女は見事なセリフで応酬しました。

それから、トランプが、「それは私が賢いことのあらわれだ」(That makes me smart)と言った場面。トランプは何年も連邦所得税をまったく払っていなかった、とクリントンが指摘すると、彼はこのように横から口をはさみました。この言葉などは、クリントン候補の選挙コマーシャルに引用するのにぴったりの言葉です。

この2つの場面は、双方にとって、大きな加点、大きな減点になった決定的瞬間だったと思います。

◇テレビ討論会の意義

佐藤:デマレスト教授はスタンフォード大学でテレビ討論会を分析する授業を教えていますが、歴代のテレビ討論会の中で、どのテレビ討論が最も質が高かったと思いますか?

デマレスト:1960年のケネディ対ニクソンだと思います。過去50年以上の歴史を振り返っても、これほど有権者に有益な情報を与えた討論会はなかったと思います。

現在、テレビ討論会は、サーカスのようなエンターテインメントショーになりつつあり、本来の目的を見失いつつあるように私には思えます。視聴者は誰が勝って、誰が負けたかばかりに注目していて、スポーツ中継と同じように討論会を見ている人も多いですね。二人のボクサーがリングに上がって、殴り合いのけんかをして、片方が強烈なブローを繰り出して、ノックアウトした、という感じです。候補者の主張や視点、政策方針についてじっくり耳を傾ける、ということがなくなってきたように感じています。

佐藤:テレビ討論会はバトルだ、と思っていましたが、本来は違うということですね。

デマレスト:そうなってはいけないんですよ。政策よりもどれだけ相手に打撃を与えたか、ニュースで話題になったかを競うなんて、本末転倒です。テレビ討論会は、あくまでも有権者が投票するために有益な情報を提供する場であるべきだと私は思います。

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