70代ですが、電車で席を譲られると悲しくなります
著述家、湯山玲子
まだ元気な年だと自分では思っているし、運動のために通勤では座らないようにしています。ところが、たま~に優先席でもないのに席を譲られ、「ん~~ヤダな」と悲しくなります。そんなに老けて見えるのでしょうか。(埼玉県・70代・男性)
その昔、雑誌の取材で「高齢者体験セット」という全身に重りを装着するハーネスを付けたことがありますが、その時の驚きといったら! 立っているだけで身体がしんどい。駅の階段などは、もはや富士登山か?!(ちょっと大げさかな)というほど、高齢者の生活がいかに大変か、ということを実感しました。と同時に年を取るということは、普通に行っている活動のほとんどが不自由になることであり、つまり、社会的弱者になるのだぁ、という将来を実感したことを覚えています。
昨今の高齢化社会では皆、同じような危機感があるのか、街ではジョギングやウオーキングする高齢者を多く見かけます。老けてみられたくない、とは誰もが思うことですが、相談者は「自分が老人と思われてしまう」ということにいら立ち、いや、恐怖すら感じているご様子。
70代にしては、元気で大いにけっこう、とエールを送りたいところですが、相談者のその現役上等思考は、実は危うい要素を多分に含んでいることを忘れてはなりません。それは何かと言えば、「社会に迷惑をかけたり役に立たない人間は生きていてもしょうがない」という考え方で、これにとらわれると、自分が弱った時に、確実に自己嫌悪に陥ってしまう。
ピンピンコロリ(元気で暮らし、誰にも迷惑をかけずコロリと逝く)が死に方の理想、という人は多いのですが、これも、そういった思考と表裏一体なところがあるわけで、要注意なのです。もし、何らかのアクシデントで、身動きもままならない状態になったら、相談者は簡単に生きる希望を無くしそうなのが見て取れてしまう。
弱者の自己嫌悪。これ実は、日本では、結婚できないおひとりさま、ニート等の当事者たちが陥りがちであり、生きるエネルギーや意欲を奪ってしまう思考のわなですが、相談者は自分が助けを必要とする老人になったとしても、そんな自分を肯定できる強靱で大らかな心構えを持ってもらいたいものです。
そういえば、パリの地下鉄でとある光景を目撃したことがあります。席に座っていた若いカップルの前に杖をついた魔法使いみたいなおばあさんふたりが乗り込んできたと思ったら、ひとりが杖をドンと突き彼らをひと睨み。カップルは席を譲り、彼女たちはそこに当然のように腰を下ろしたのです。その堂々とした立ち振る舞いはあっぱれの一言。老いを「迷惑をかける弱者」ではなく「成熟の結果」と肯定的に捉えるその様子に、我々は学ぶことが多いような気がします。
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[日経プラスワン2016年11月5日付]
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