けんかっ早い性格、いい年なのに直らない
何だか、みんなイライラして、怒っています。
きょうの自分を振り返ってみても、スーパーのレジで前に並んでいたおばさんが小銭を出すのに手間取っていて、「いいからお釣りをもらってくれよ」とイライラ。テレビをつければ、身勝手で酷い親の子殺し報道に「許せん」と怒り、いったい人生の何パーセントの時間を私は怒っているのか、と悲しくなるほどですが、日本人の多くはそんな日常を過ごしているのではないでしょうか。
しかし、ほとんどの人が心の中で留め置いてやり過ごす怒りを、相談者は態度として表してけんかっ早さを自認しています。怒りをためるよりも精神衛生上はよさそうですが、ちょっと気になるのが、その怒りの発露が、相談者の中で快感を感じるエンターテインメントになっていないか、という危惧。
質問を読む限り、相談者の怒りはいつも正しい。そう、あなたはルール違反者に不正を取り締まる風紀委員のようです。
ここで確認しておきたいのが、けんかはひとつの暴力だという点。相手に行為の迷惑さをわからせてやめてもらう、という交渉なんぞではなく、大声や言葉遣いの威嚇で相手をビビらせ、黙らせるという、力による制圧がそこにはあります。ちなみに人間にはそういった暴力を心地よいと感じてしまうダメな性質があり、それゆえに、暴力と快感の関係を断ち切るべくシステムやモラルをつくり上げてきたわけです。
相談者のけんかっ早さにはどうも、そういった匂いが感じられますね。「正義」の名の下、思う存分相手を攻撃し、怒りエンターテインメントの快感に酔いしれている姿が透けて見えます。商品やサービスの落ち度に、必要以上の難癖をつけるクレーマーが近年増えていますが、それと同様のメンタリティーです。社会的モラルを破る不届き者に対してなら、怒りの暴力は「正義」ということになり、個人的な感情の発露や暴れたいだけのそれと違って、やましいことはなにもないのですから。
けんか両成敗というイーブンの関係が暴力沙汰には存在しました。しかし、相談者の「正義」の名の下のけんかには、暴力のやましさ、つまり「悪」を引き受ける意気地がないともいえます。「ガンつけやがって」と、街中で目が合っただけでけんかをふっかけるチンピラたちと暴力の快感という意味では同じ。それがわかれば、もう「けんかっ早い」などと言ってはいられなくなるでしょう。
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[日経プラスワン2016年9月10日付]
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