東大卒の銀行マン 理系トップMITで人事に覚醒、転職佃秀昭・エゴンゼンダー社長に聞く(下)

コーポレートガバナンス(企業統治)に関するコンサルティング業務を展開するエゴンゼンダーの佃秀昭社長(52)が振り返る、経営学修士(MBA)留学体験記。後半は、苦境の前半から一転、新たな自己を発見し、状況が好転するところから始まる。やがてそれは、企業統治のスペシャリストとしての道を歩むことにつながっていった。

ファイナンスを極めようと、副学長に猛アタックしてまで入ったマサチューセッツ工科大(MIT)ビジネススクール(スローン)だったが、卒業論文のテーマは人事論だった。

人事論の授業を受けたら、それまで興味のなかった人事論が非常に面白く感じ、自分に向いているのではないかと思いました。ファイナンスで苦戦し打開策を模索していた身にとっては、渡りに船でもありました。

印象に残っているのは、ゲストとして授業に招かれたゼネラルモーターズ(GM)の人事責任者の話です。GMが、ドイツ車や日本車への対抗策として、子会社を立ち上げ、新ブランド「サターン」を発売した時期でした。

人事責任者は、その子会社のワークルール(労働規約書)を私たちに見せ、契約社会である米国の一般的なワークルールと比べて、それがいかに薄いかをしきりに自慢。そしてそれは、日本企業から学んだと説明しました。

日本企業に学ぼうと必死の米企業。しかし、その日本企業は、進出先の米国で、労働文化の違いに苦労している。ある国で当たり前のことが、他の国ではそうではない。グローバル経営には、多様な目線を持つことがいかに大切かということを、その授業で教わりました。卒業に必要な卒論のテーマも、日米企業の人事制度の違いにしました。

当時はもちろん、将来、企業統治にかかわる仕事をするなど想像もしていませんでした。しかし、今の仕事も、日本企業にふさわしい経営とは何か、人事とは何かという問題意識を持ってやっているという意味では、私のキャリアの原点はスローンにあるとも言えます。

2年目には成績も飛躍的に向上。ビジネスパーソンとしてグローバルにやっていける自信も得た。

成績で苦労した1年目とは打って変わり、2年目の授業はほとんどA。自分の得手、不得手を自覚し、人事や戦略、マーケティング系の授業を多くとったことが結果的によかったと思います。

スローンは、抱いていたイメージに反し、ディスカッション中心のケーススタディーの授業も結構ありました。英語でのディスカッションは日本人にきつい面もありますが、米国人の発言を注意深く聞いていると、実はたいしたことは言っていないということが、だんだんわかってきます。早口の英語なので、最初のころは、すごいことを言っているように聞こえただけだったのです。英語のハンディを除けば、日本人も米国人相手に堂々と渡り合える。そんな自信が付きました。

一方、当時の日本はバブルに酔いしれ、もう米国から学ぶことはないという傲慢な論調も見られましたが、スローンにいて、米社会のダイナミズムはまだまだ学ぶところも多いと実感しました。

私は今、仕事として日本企業のガバナンスを論じる時には、むやみに欧米企業の真似をするのではなく、日本の強みや良い点は自信を持って維持し、だめなところは相手を謙虚に見習って変えていくことが大切だと言っています。こうした発想や思考は、スローンでの様々な経験を通じて得たものだと思っています。

三和銀行に復職後、34歳で転職。その1年後、世界的な経営人材コンサルティング会社、エゴンゼンダーにヘッドハントされた。

「MBA留学はよき経営に必要な多様な視点が身につく」と語る

銀行に戻って最初の2年間は、国際審査部でプロジェクトファイナンスの不良債権処理にかかわりました。バブルがはじけた直後です。その後、人事部に異動し、辞めるまでの6年間、人事制度改革に取り組みました。

プロ経営者が話題となる昨今ですが、邦銀は、その道のプロを外部から採用することは、今もあまりありません。当時私は、邦銀が市場で生き残るためには、優秀な人材を外部に求めることと、優秀な人材の流出を防ぐことが必要不可欠だと考え、そのための人事や教育、処遇制度の抜本改革を進めました。実際に、大手消費財メーカーからマーケティングのプロを引き抜いたこともあります。仕事をしながら、スローンで学んだサターンの例をふと思い出したこともありました。

上司や同僚が優秀だったこともあり、仕事はやりやすかったですが、やはり大企業では、自分の主張が100%通ることはありません。外に出て思い切り自分の力を試したい、より広く日本社会に貢献したいという気持ちが高まり、退職を決意しました。不安はありましたが、MBAを持っていれば何とかなるだろうという気持ちでした。

退職と同時に小さな外資系人事コンサルティング会社に転職。その1年後の2000年にエゴンゼンダーに再転職しました。エゴンゼンダーでは10年に東京オフィス代表に就任しました。現在は、金融庁・東京証券取引所の企業統治に関するフォローアップ会議のメンバーや、金融審議会の市場ワーキンググループ委員も務めています。日本の経済社会に貢献したいという学生時代からの想いを実現するため、活動の範囲を広げつつあります。

今は人のキャリアのお手伝いをすることも仕事の一つですが、自分自身の経験から思うのは、結局、転職するかしないかは大きな問題ではありません。大事なのは、自分が何をしたいかとことん考えること。私自身は、今の仕事は天職だと思っています。やりたいようにやっているのでストレスはありません。社会に貢献しているとの実感も持てています。

日本でも企業統治がますます重要になっていますが、グローバルに活躍する企業に共通するのは、経営者が何らかの海外経験を持っていること。英語もそうですが、良き経営に必要な多様な視点が身に付くからです。MBA留学も海外経験の一つ。ですから、若い人には、チャンスがあったら、躊躇(ちゅうちょ)せず、MBA留学するよう勧めています。

講演などでよく言うのですが、MBA留学で失うものなんて何もありません。Nothing to lose.です。

前回掲載の「東大卒の銀行マン、MITの金融授業には歯が立たず」では、銀行から苦労してMITに留学したものの授業で苦労した様子を語ってもらいました。

インタビュー/構成 猪瀬聖(ライター)

「私を変えたMBA」は原則月曜日掲載です。

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