東京進出、最高益を更新 「2割の可能性を考えよう」ジャパネットたかた前社長 高田明氏(3)

ジャパネットたかた前社長の高田明氏。テレビ通販王国を一代で築き、お茶の間でも人気者となった。社長引退後は、「伝える力」の伝道師として全国を飛び回っている。高田氏の連載3回目のテーマは「苦境を脱するポジティブシンキング(前向き思考)」だ。

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きょうは東京・六本木の超高層ビル「泉ガーデンタワー」にスタジオ兼オフィスを設けた東京進出のお話をしましょう。

2012年夏に泉ガーデンタワーの34階をワンフロア借りました。当時はエコポイント制度の終了により急に薄型テレビが売れなくなって会社の売上高も急降下していました。10年12月期に1759億円あった売上高は2年後に1170億円と600億円近く減りました。しかし、僕の中では売り上げに対してそれほど危機意識はなかった。経常利益は136億円から73億円に半減しましたが、自分流でやりたいと思っていました。非上場会社ですし、頑張っていれば時代の流れでまたフォローの風が吹くこともあるだろうと……。

それよりも社員が1000人以上になれば、社員にも活力を入れる必要があるし、世の中にもジャパネットたかたは、また新たな発信をしますよというメッセージを逆に出さなければいけないと思って、東京進出を決めたわけです。超高層ビルがひしめく汐留地区(東京・港)、世界貿易センタービルのある浜松町(同)など都内の十数カ所を見てまわりました。最後に訪れたのが泉ガーデンタワーでした。

即断即決、富士山を望む34階「空中スタジオ」

34階に上がって外を眺めたら、ちょうど天井の高さがスタジオのようで、そこだけぽっかりと空いていました。すぐさま「ここだな!」って心の中で叫びました。東京タワーは直近に見えるし、左を向けば、遠くに東京スカイツリーものぞめる。最初は34階の東側半分を見たのですが、不動産業者に「反対側も案内しましょうか」と誘われました。反対に回ると、晴れの日には富士山が見えるというではないですか。その場で即決し、「ワンフロア全部借りる。スタジオをつくろう」と指示を出しました。

しかし、スタジオづくりは困難の連続でした。

ジャパネットたかた前社長 高田明氏

通常のオフィスの床は配線などをはわすための二重床になっていますが、重い放送機材に耐えられるよう、またテレビカメラがスムーズに動くように二重底を埋める必要がありました。このため34階まで生コンクリートを運び上げてスタジオ仕様に施工してもらいました。天井をはがして照明設備も付けました。問題はカメラの目線でした。人の肉眼ではきれいに東京タワーなどの窓からの景色を眺められるのですが、カメラのレンズを通すとガラス面が反射してしまうのです。

反射や遮光の問題のほかにも、電波障害への対策も必要とわかりました。東京は地震が多い。撮影中に地震が発生すると、ほんの小さな揺れでも展示した商品が動いてしまう。スタジオとして使うには、様々な悪条件があることがわかってきました。超高層ビルでスタジオをつくるのは不可能ではないかと弱気になったことも1度や2度ではありませんでした。

いくつもの難題が浮上し、「もうやめた方がいい」と私も諦めかけたのですが、「可能性はあります」と機材メーカーの担当者が助言してくれ、息子の高田旭人(当時副社長、現社長)も「2割の可能性があるならやろうよ」と言う。こうした周囲の後押しがなかったら、私はスタジオづくりを諦めていたかもしれません。しかし、何でもそうですが、不可能と思ってしまったら、そこで不可能になる。けれども、可能性を探っていけば意外と不可能が可能になる時があるのです。超高層ビルのスタジオはまさにそうでした。皆が知恵と汗で一つひとつ課題をつぶしていきました。大事なのは気持ちの持ち方です。気持ちの持ちようでビジネスでも人生でもどっちにも振れるものだと私はその時、改めて思いました。

「わくわくドキドキ」を全国に発信

私は自分の勘を信じて、超高層ビルのワンフロアを丸ごと借りることにしました。東京の事業体制をどうしようかとか、人員体制をどうするかといった計画を立てる前に、決めてしまいました。私はよく冗談で、東京タワー、スカイツリー、富士山と日本を一望できる点が気に入ったから、泉ガーデンを選んだと言っていますが、別に東京でなくてもいい。もっと将来を見たら将来のジャパネットはオホーツク海や石垣島が見える場所で番組を制作しているかもしれません。12年の時は長崎・佐世保と東京の2カ所からジャパネットの元気を、「わくわくドキドキ」を全国に発信したいと考えたのです。

それまでジャパネットは本社のある佐世保のスタジオで番組を制作してきました。東京オフィスの設置とともに商品開発体制を変えました。以前は商品の購買・調達部門は佐世保にあり、メーカーの担当者に佐世保まで商談に来ていただいていた。しかし、東京では商品や技術の展示会が頻繁に開かれています。メーカーの人が佐世保に来るというのは時間がもったいない。自分たちが東京で商品開発すればスピードが上がると考え、東京に商品開発部門を人員丸ごと移したのです。インターネット事業も全部、東京に移しました。

業績は悪化していましたがリストラではなく、逆に「投資も思う存分やっていい」「人も100人でも200人でもどんどん採用していい」と社内にハッパをかけました。実際にスタジオ建設だけで数十億円を投じました。テレビ不況の直撃を受けている社内の目を、前(将来)に向けさせる方が大事だと考えたわけです。経営者が投資をする時は清水の舞台から飛び降りるような「決断」や「覚悟」が要りますよね。当時の状況がまさにそうでした。

「覚悟の年」に最高益を更新

こうした積極策が実り、「覚悟の年」と名付けて自分の進退をかけた13年に過去最高益を更新しました。この時は売り上げを伸ばすよりも、73億円まで下がった経常利益を反転させて過去最高だった10年を超えようと社内に伝えました。結果的にこの年の経常利益は136億円を大幅に上回る154億円まで増えました。この時に私が注目したのはテレビ関連(テレビ、レコーダー、テレビ台などを含む)の売り上げです。13年のテレビ関連の売り上げはどうだったかというと、全く復活せず、売り上げはわずか60億円でした。10年に960億円もあったテレビ関連の売り上げが全く回復していない中で過去最高益を出せた。そこが企業経営の面白いところですが、私は特別なマジックを使ったわけではありません。

私は社内に2つのメッセージを出しました。1つ目は原点に還(かえ)る。「炊飯器、掃除機、エアコン。まだまだいっぱい伝えなければいけない商品があるではないか。衣食住を考えれば、食もあるし、アパレルだってある」と社内で繰り返しました。ジャパネットは家電専門店ではないのだから通販の原点に還ろうと……。そのうちに、シーズン前から仕込んできた地道な宣伝の効果が出始め、エアコンが売れ、炊飯器、掃除機などが売れるようになってきた。これらの商材で250億円も売り上げが増えて全体の利益を押し上げました。14年は売上高が1538億円まで戻り、経常利益は174億円まで伸びました。

できないことで頭の8~9割を使うな

人間というのは、苦境に陥ると、到底できないことをやろうとしがちです。経営者は苦境を脱するために多角化を口にしますが、これまで手がけてこなかった分野に進出してすぐに結果が出せるはずがありません。餅は餅屋ではないでしょうか。できないことで頭の8~9割を使うのではなく、1~2割のできることを10割に膨らませることを考えた方が、組織に前向きの力が生まれ、苦しい状況を乗り越えられるのではないでしょうか。

2つ目は競争原理。最高益更新のもう一つの原動力は競争原理を働かせたことです。東京オフィスの立ち上げと同時に、旭人を東京の責任者として送り込み、私は佐世保に残りました。「2人で競争しようよ」と旭人に提案しました。社内に競争原理を働かせることにより、社員自らが目標に立ち向かう力を引き出したいと思ったからです。

東京に主力のMC(司会)を送り込み、旭人の下につけました。佐世保では私がメーンのMCとして引っ張ると宣言しました。すると、私に負けまいと対抗意識を燃やして東京のMCが頑張るじゃないですか。彼らにとっても毎回、毎回の放送で力が試されます。そして思っていた通り、彼らは本当に頑張った。そういう中で旭人らが新しい案出し(提案)をしてきたわけです。1日に1つの商品だけを徹底的に売る「チャレンジデー」がそれです。そういうアイデアを東京のチームが必死になって編み出した。そういう力と思いが過去最高益更新の背景にあったわけです。

現状の中で不可能と思える理由を考えて悩み続けるよりも、限りなく少ない1割、2割の可能性を大きく膨らませることで、苦境を乗り越える突破口にできたのだと思います。

高田明(たかた・あきら)
1971年大阪経済大経卒。機械メーカーを経て、74年実家が経営するカメラ店に入社。86年にジャパネットたかたの前身の「たかた」を設立し社長。99年現社名に変更。長崎県出身。67歳

(シニア・エディター 木ノ内敏久)

前回掲載「価格に還元できない商品の魅力を伝える 」では独自のマーケティング論について聞きました。

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