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ビジュアル音楽堂

江國香織さん 空からにわかに降る音楽を聴く

2016/7/23

 作家の江國香織さんが、本と音楽を語りながら、好きな曲を演奏家に弾いてもらうコンサートに出演している。7月のクラシックに続き、9月にはジャズで同様の公演を開く。空からにわかに降るような「控えめな音楽」を愛する理由が明かされる。

 「聴きたい曲を演奏家に弾いてもらえるなんて。夢のようだと思ってすぐに引き受けました」。7月14日、東京・銀座の王子ホールで「ギンザ・ブックカフェ・コンサート」が開かれた(企画・制作は浦久俊彦事務所)。題名の通り、本を書く作家が登場し、終演後に茶話会を催す銀座でのコンサートだ。演奏家はチェンバロとオルガンを弾く三和睦子さんとチェリストの上森祥平さんの2人。演目にはJ.S.バッハやルイ・クープランらバロック時代の楽曲が並ぶ。

リハーサル後にポジティフオルガンを試奏する作家の江國香織さん(左)。隣はオルガン兼チェンバロ奏者の三和睦子さん。右端はチェリストの上森祥平さん(7月14日、東京・銀座の王子ホール)=撮影 大川原健

 舞台にはチェンバロ、それに見慣れない箱型のオルガンが置いてある。パイプオルガンとは比べようもない小さなオルガンだ。午後2時の開演に向けたリハーサルでは、江國さんがその「ポジティフオルガン」と呼ぶ箱型の鍵盤楽器にしきりに触れ、関心を示していた。それもそのはず。江國さんは「小さなオルガンのための貴重な作品集」(ワーナーミュージック)というCDを「一時期は朝から晩まで聴いていた」と言うほど愛聴してきたからだ。オランダのオルガン奏者アルベルト・デ・クレルクが16~18世紀の10種類の小型オルガンでルネサンスとバロック期の10人の作曲家の曲を弾いたアルバムで、この日と同じタイプのポジティフオルガンによる録音も含んでいる。

 コンサートで演奏されたオルガン曲はツィポーリの「カンツォーナ ト短調」とルイ・クープランの「シャコンヌ ニ短調」。いずれも江國さんが愛聴する小さなオルガンのCDに収録されている曲だ。「古いものが好きです。教会音楽、オルガン音楽なんかも好きですね」と江國さんは語る。三和さんが演奏するポジティフオルガンは、ときにフルートのような音色を出す。古くてひなびた感じの音色で、どこか悲しげな2曲が奏でられた。こういう愛らしい音楽を聴きながら江國さんは数々の恋愛小説や味わい深い短編小説、詩やエッセーや童話を書いてきたのか、と読者としては思いたくなる。

江國香織さんの小説やエッセー集、編集・翻訳した詩集などの作品群

 「号泣する準備はできていた」で直木賞、「ヤモリ、カエル、シジミチョウ」で谷崎潤一郎賞を受賞した最高評価の人気作家。音楽が文学作品を生み出す糧になるかどうかを尋ねると、「小説を書くときは音楽を聴かない」との答えだった。音楽と文章ではリズムも意味も異なる。気が散るのは想像に難くない。それでも音楽の効用についてさらに尋ねると、驚きの発言が飛び出す。「動揺したくないんですよね。あまりこう叙情的に、感傷的に音楽に迫って来られると、困る」

 音楽はそもそも人間の心を揺さぶり、かき乱すものではないのか。人は動揺させられ感動するためにも音楽を聴こうとするはずだ。動揺や衝撃の度合いが大きそうな作曲家、例えばショスタコーヴィチやマーラーの音楽について聞くと、「雄大ですよね」の一言。「ストラヴィンスキーみたいに、音を自在に遊ぶような音楽も、ちょっとぎょっとするかな」

 江國さんには、淡々と過ぎゆく日常の中で、登場人物の状況や心境が微妙に移り変わっていくような、繊細な作品が多い。いかにもの衝撃の事件は起きない。消えた夫を待つ女性とその娘の転居の旅を描く長編小説「神様のボート」(新潮文庫)では、ロッド・スチュアートの穏やかなバラードを背景に物語が静かに流れていく。それはバッハの「無伴奏チェロ組曲」のような、淡々と進む旋律と深い余韻の音楽にも似ている。

J.S.バッハ「ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第3番ト短調BWV1029」を演奏するチェロの上森祥平さん(右)とチェンバロの三和睦子さん(7月14日、東京・銀座の王子ホール)=撮影 片山和雄

 「クラシックでいちばん聴くのはバッハかもしれませんね。懐かしい感じがして安心感があります」。この日のコンサートでも上森さんの独奏でバッハの「無伴奏チェロ組曲第1番ト長調」の「プレリュード」、上森さんと三和さんの共演でバッハの「ヴィオラ・ダ・ガンバのためのソナタ第3番ト短調」が演奏された。「音楽は本みたいに閉じられず、避けられない。音楽はその意味で乱暴です。だから人の心を震わせるけれど、あまり不意に、自分でも持っていないところを震わされると、困る。困るから、ちょっと控えめな音楽の方が好きかもしれません」

 クラシックのほかにも「父(随筆家の江國滋氏)が好きだったスタンダードジャズ、母が聴いていたシャンソン」も愛聴する。中学生の頃には世良公則&ツイスト、矢沢永吉、Char(チャー)ら日本のロックが大好きだった。夫が大ファンだという甲斐バンドも好む。そうしたロックが「控えめな音楽」かどうかは分からないが、ジャンルにかかわらず、独特の感性で音楽を愛する人だ。

 9月2日にはフィリアホール(横浜市青葉区)でピアニストの森丘ヒロキさん、ベーシストの岸徹至さんとともに「本とわたしとジャズな夜」というトーク付きコンサートを催す。江國さんのエッセー集「都の子」(集英社文庫)の中に「空から降る音楽」という文章がある。夏の騒々しさが過ぎるとピアノが聴きたくなること、音楽がまっすぐ心に届くのでびっくりすること、などを書いている。そして音楽は耳だけでなく全身に「降ってくる」と指摘する。

 空からにわか雨のように降る音楽。そんな「控えめな音楽」を選ばなければならないほどに、音楽への感受性が強い人なのだろう。決して感情をむき出しにしない、控えめな風情のバロック音楽のコンサートが終わった。次のトーク&コンサートを開く頃、まばゆい夏に別れを告げる9月は、江國さんにとってジャズピアノの季節なのかもしれない。

(映像報道部シニア・エディター 池上輝彦)

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