ビョーク×VR 最新技術で音楽の感情表現は深化する
先鋭的なサウンドや豊かな世界観で音楽シーンをリードするミュージシャンのビョークが、29日から7月18日まで日本科学未来館(東京・江東)で「ビョーク デジタル―音楽のVR・18日間の実験」展を開いている。ビョーク自身の音楽と、映像クリエーターらによるVR(仮想現実)を組み合わせた作品は、音楽表現の未来を予感させる刺激にあふれている。
会期前日の28日夜8時過ぎ、日本科学未来館3階のジオ・ステージ前にビョークが登場し、約500人の観客が見守るなか、VR映像の公開収録「メイキング・オブ・ビョーク・デジタル」が始まった。360度方向の映像を記録できるマルチカメラの前に立ち、昨年発表したアルバム「ヴァルニキュラ」から約4分の楽曲「クイックサンド」を熱唱した。
3Dプリンターで製作した不思議な形のマスクを着けたり、背景に置いた球形の地球ディスプレー「ジオ・コスモス」にアート映像を投影したりと、ちょっとした演出はしているものの、ここまでは「ただ歌った」だけに見えた。ところが――。
「パフォーマンスの模様は世界初の360度VR映像としてリアルタイムのストリーミング配信を行います、スマートフォンなどでご覧ください」。ビョークの退場とともにアナウンスが流れると、観客が手にしたスマホやタブレットに、たったいま収録したばかりの歌唱風景とコンピューターグラフィックス(CG)映像を合成した「アート」が出現した。この映像はおよそ1時間、ネットで世界中に配信された。ビョークの展覧会はオーストラリアに続いて世界で2回目だが、公開収録は初めてだ。
悲観主義と楽観主義が絶えずケンカをしている人の内面をテーマにした楽曲の世界観を表そうと、ビョークが砂粒のように消えたり、アンテナの感度が悪いテレビ映像のように像が乱れたり。現実の映像と仮想現実の世界がめまぐるしく交差するイメージの宇宙が広がった。
イベント終了後、未来館の大型ディスプレーにも投影された。一般的なミュージックビデオと異なるのは、見ているのではなく、その映像世界に入り込んで体感しているような錯覚を覚えた点だ。360度カメラによる映像は立体表現とパノラマ感の表現に優れ、まるでビョークがすぐ近くに立って歌っているような実在感があった。CGにも、奥行きや遠近感、距離感を把握する人間の感覚を巧みにだますVR技術が駆使され、仮想の世界がそこにあるようなリアリティーにあふれていた。
音楽を聴覚だけでなく、ミュージックビデオやライブの舞台演出を通じ視覚的にも訴える試みは従来もあった。ただVR映像は、ミュージシャンが表現したい世界に、見る人をより深く没入させる可能性を持っている。ビョークが音楽表現を拡張する新たな武器としてVRを選択した理由が、この日の収録で理解できた。
収録後に行われたトークショーでは、実際にビョークが音楽とVRの未来を語った。昨年からVR映像の制作に取り組み、これまで今作を含めて5本のビデオを作ったという。発端は「思いつき」。米国在住の映像作家とアイルランドに滞在した時、たまたま360度カメラが手元にあり、楽曲「ブラック・レイク」のVR映像を撮影した。それが「面白い」となり、制作にのめり込んだという。
人間の口内を360度カメラでぐるぐる撮影した「マウス・マントラ」の制作をDentsu Lab Tokyoがサポートした縁で、今作では日本チームとの協働が実現。ビョークがイメージを伝え、日本チームがそれを形にする。双方が何度も議論を重ね、今回の収録にたどり着いた。
ビョークは過去にもタッチパネル上で操作する楽器をライブで使ったり、アプリで作曲したりと、次々と生まれる最新技術を貪欲に自身の音楽表現に取り入れてきた。そうした経緯に触れた上で「ただ使うのではなく、芯がなければいけない」と強調した。技術を単に面白がって使用するのではなく、音楽で表した感情表現をさらに深化できるから技術を使うのだ――と。アルバム「ヴァルニキュラ」は「ギリシャ悲劇のような作品」で、物語に人をいざなうために「VRの実験的なアプローチが合う」とひらめいたという。
「私はミュージシャンとして、人間くささや人間ならではのソウルをいかに伝えるかを考えてきた。それは何十年間も揺るがないもので、最新の楽器や技術を使ってもぶれることはない」「電話が発明されたとき(人と人とが会わなくなって)人間らしさがなくなるといわれたけど、今は電話やメールで愛する人と話し、感情表現を行うツールとして使いこなしている。VRも色々な使い方が今後蓄積されて、アーカイブ化されていく。可能性を感じる」。その起点として先駆的にVR映像による表現に取り組む状況に「興奮している」と弾んだ声で話した。
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(文化部 諸岡良宣)
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