強いなでしこ、皆で作っていきたい 高倉麻子さん
サッカー女子日本代表監督(キャリアの扉)
リオ五輪出場を逃し、2020年の東京五輪に向け新たなスタートを切ったなでしこジャパン。初の女性監督としてチームを率いるのが高倉麻子さんだ。10代から日本代表として活躍。引退後は指導者となり、14年にはU-17(17歳以下)女子日本代表監督としてW杯で初優勝。アジアサッカー連盟が選ぶ年間最優秀コーチ(女子)を4年連続で受賞した実力者だが「もともと指導者はやりたくなかった」と話す。
小学生の頃から夢中でサッカーボールを追いかけた。地元福島の中学、高校には女子サッカー部がなく、練習場所には苦労した。父親が庭につくってくれたゴールに向かってシュートを打ったり、男子の練習に参加したり。月1~2回は片道4時間かけ東京の女子クラブチームに通った。
84年、16歳で日本代表戦デビューを果たしW杯に2回出場。ミッドフィルダーとして活躍した。
試練もあった。30歳を過ぎた頃、所属チームのスポンサーが撤退し廃部に。「最後のチャレンジ」と米国に渡るも、けがで半年で帰国した。それでも、「行って良かった」と振り返る。「米国は挑戦する人を拒まない国。滞在中年齢は1回も聞かれなかったし、皆が応援してくれた」
その後もプレーを続け、36歳で引退。体力と精神力の限界までやりきって、初めて「サッカーから離れたいと思った」。
一方で、サッカーに恩返ししたい気持ちもあった。しばらくして知人のサッカー教室で子どもに教え始めると、その思いが膨らんでくる。「周囲に背中を押されるように」コーチ資格を取り、08年から女子の年代別代表の指導を担当。13年に16歳以下の代表監督に就任し、結果を残してきた。
意識するのは、「選手一人ひとりときちんと向き合うこと」。選手には、互いを認め合うことの大切さを説く。「皆が個性を発揮しながら、本気で上を目指す集団でありたい」と力を込める。
指導者はやりたくない――。引退当時の気持ちは、若手を率いて世界と戦う中でガラリと変わった。「世界中が日本のサッカーを認めてくれていると感じた。自信を失う必要はない。また、強いなでしこジャパンを皆でつくっていきたい」
(女性面編集長 佐藤珠希)
〔日本経済新聞朝刊2016年6月25日付〕
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