厳しい父が「彼女いないのか」 P・ジローラモさん
著名人が両親から学んだことや思い出などを語る「それでも親子」。今回はタレントのパンツェッタ・ジローラモさんだ。
――お父さんは建設会社を経営されていたそうですね。
「高速道路とか港湾の船着き場とか、政府から結構、大きな仕事をもらってました。現場では大声でないと、皆に伝わらないから、それがクセになって、家でも大声でしゃべっていました。だから怖くて、父の前では、私はいつも緊張していました」
「父は兄と私に会社を継いでもらいたいと願っていたようです。よく、しっかりした人間になるようにもっと勉強しろと言われました。厳しかったですよ。近所でサッカーをしていたら、お前は遊んでばかりだと怒られる。仕方ないからサッカーチームに入り、見ていないところでやりました」
――服装などで影響を受けたところはありますか。
「おしゃれでしたね。現場に行くときも、格好いいジャケットを着ていました。よくテーラーに一緒に連れて行ってもらい、ジャケットを仕立ててもらいました。ただ、ぴしっとしすぎていたのか、友達に『おまえ、もう結婚するのか』とかひやかされるので、着られませんでした」
――シャイだったのですね。
「恥ずかしがり屋でした。父はそんな息子が心配だったみたいで『おまえ、彼女はいないのか』とよく聞かれました。イタリアのお父さんというのは、みんな女性が好きで、息子も自分と同じようになればいいのにと思うんです。何度も言われて面倒くさいから、小学校のときに、いるって言ってしまいました」
「小学校に通うバスでは、だいたい座る席が決まっていたのですが、私の近くにかわいい女の子がいたから、その子が彼女だと嘘をついたんです。そうしたら父が『君がうちの息子の彼女なんだね』と話しかけてしまって。後でひどく説教されましたよ」
――14歳のとき、お父さんは病気で他界されました。
「はい。それで私より11歳上の兄が会社を継ぎ、私もその後、一緒に仕事をするようになりました。父の友人や仕事仲間から頼りがいのある人だったよ、と聞かせてもらいました。同じ仕事をする者としてやっと父を近く感じるようになりました。怖がらないで、もっとしゃべっておけばよかったと後悔しましたね」
――お母さまが1人で育ててこられたのですね。
「母はあの時代のイタリアの女性の多くがそうだったように、家族を守る優しい人でした。そしてとても強くて、父がいなくなってからも、しっかり育ててくれました」
「今89歳です。私が日本に来て、やはりさびしいのだと思います。イタリアに戻って日本へまた帰るために、空港へ向かう車に乗り込んで、バックミラーをのぞくと、母がじっと後ろで立っているんです。その姿は、胸に焼きついています」
〔日本経済新聞夕刊2016年6月7日付〕
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