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「師を敬えば報われる」 小松政夫さんに聞く

2016/5/23 日本経済新聞 夕刊

 一流の師のそばでお世話できて、幸せだった

 日本喜劇人協会会長の小松政夫さん(74)は2007年3月27日に逝った師の植木等を今も心から尊敬している。

こまつ・まさお 1942年、福岡県博多生まれ。高校を卒業して上京、64年に植木等の付き人兼運転手に。独立後はテレビのバラエティーやドラマ、舞台などで幅広く活躍。伊東四朗との掛け合いなどでヒットギャグを次々に生み、流行語を数多く編み出した。2011年から日本喜劇人協会会長を務め、現在2期目。(写真、井上昭義)

 「植木さんの『付き人兼運転手募集』の小さな雑誌広告を見て、これだ! と思いました。1964年のことです。俳優を志し、家出同然に18歳で博多の実家を飛び出して3年余り、すし店、マグロ問屋、花屋さん、ケーキ店、印鑑屋さん、複写機販売会社、車のディーラーと仕事をかえながらチャンスを探していました」

 「ハナ肇とクレージーキャッツの人気は絶大でした。映画の無責任シリーズに主演し、『スーダラ節』など、出す曲みんなが大ヒット。植木さんは国民的スターです。応募者は600人に達しましたが、奇跡的に採用されました」

 募集広告には「真面目にやれば面倒みるよ~」とあった。その言葉に偽りはなかった。

 「私は幼いころ、父親を亡くしています。植木さんに『おやじさんとお呼びしていいですか』と恐る恐る尋ねると、おお、いいよ、と喜んでくださったんです」

 「最初にびっくりしたのは64年10月10日、東京オリンピックの開会式に招かれたおやじさんを国立競技場にお送りしたときです。車で待つつもりだった私に『一緒に来いよ』と言われる。ビクビクして付いていくと、係の人に『うちの若い者の席はありますか?』。たちまち用意されて、錚々(そうそう)たる名士が居並ぶ中で22歳の若造が、世紀の祭典を目の前で見せてもらいました」

 徹頭徹尾、植木に尽くした。優れた営業マンだった小松さんの気働きはすごい。そんな愛弟子(まなでし)がかわいくないわけがない。

 「おやじさんは何がほしいのか、何をしたいのか、気配で察知してすぐにやる。『滅私奉公は古くさい』と言う人もいるでしょうね。でも尊敬する一流の師のそばにいて、お世話ができる。それだけで幸せでした」

 「おやじさんのところに来る前にいた横浜の車のディーラーでは、自分で言うのもおこがましいけれど、営業成績抜群。大学卒の初任給が1万円ちょっとの時代に10万円以上もらっていました。ノルマを超えて売ると歩合が入る。自家用車はまだ高根の花でしたが、月に22台売ったこともあります。明るく元気に知恵と体力を駆使して頑張ってましたよ」

 「付き人の月給は7千円でした。とにかく忙しくて1週間に睡眠時間が合計で10時間ってこともある。全然つらくなかった。見返りなんかまったく考えていませんでした。でも師を敬えばきっと報われると信じてました。そういう師弟関係が今はなくなりましたねえ」

 

心の底から笑えるコメディーをやり続けたい

 植木等に仕えながら小松さんは日本テレビの「シャボン玉ホリデー」などに出演し始める。

 「おやじさんの下にいて4年近くが過ぎたある日、車の中でいきなり『明日から来なくていいよ』と言われたんです。うわっクビだ、と慌てたら、あす判子持って事務所に行けば社長と話がついているとのこと。独立の許可でした。車を止めてわんわん泣きました。『別に急いでないけど、そろそろ行くか』と言われて両目にワイパーを付けて運転しました」

 植木の有名なギャグに「お呼びでない」がある。たとえば――合唱団が正装して「エイコ~ラ~」とロシア民謡を歌っていると、ダボシャツ姿でつるはしをかついだ植木が出てきて「母ちゃんのためならエン~ヤコ~ラ」とやり始める。不気味な静寂に気づいた植木が「あれ、お呼びでない、お呼びでないね。こりゃまた失礼しましたあ」。合唱団、盛大にずっこける。

 「おやじさんはこのギャグの生みの親は私だと宣伝した。『出番です』と私に言われ場違いなシーンに登場して、とっさにひねり出したというのです。聡明(そうめい)なおやじさんが出をとちるはずがない。私を売り出すために考えてくれた作り話でした。『植木さんに聞いてるよ。頑張れ』。雲の上のような芸能界の人たちによく声をかけてもらいました」

 小松さんは頭角を現し、1970年代後半からテレビのバラエティー番組でブレークした。小松の親分さん、電線音頭、多彩なギャグ……。舞台でも活躍した。2011年から日本喜劇人協会の会長を務める。

 「会長は私で10代目。初代の榎本健一さん、森繁久彌さん、森光子さん、三木のり平さんをはじめ、歴代9人の会長さんとはすべて共演しています。日本の喜劇の黄金時代を支えてこられた偉大な先人の方々です」

 「今のコメディーをどうこう言う気はありません。時代は変わり、笑いも変わる。私は先人たちが必死で編み出した喜劇にこだわりたい。真面目にやることで醸し出されるおかしみ、そこから生まれる笑い。老若男女が安心して心の底から笑えるコメディーをやり続けたい」

 「私はね、タレントじゃなくて芸人(げいにん)です。死に物狂いで修業してきました。早ければ来年2月ごろに『小松一座』を組んで、博多を皮切りに全国を回れればいいなって思ってます。髪を振り乱し、汗だくで笑わせますよ。それがおやじさんへの恩返しですから」

■宝物の毛筆の手紙 おやじさん、優しかったなあ

植木等さんからの手紙

 植木等さんからもらった毛筆の手紙。小松さんの宝物だ。味のある柔らかい筆致で弟子への温かい思いを綴(つづ)っている。

 1996年7月、東京の明治座で植木さんが座長、小松さんが副座長で1カ月公演に臨んだ。喜劇「大江戸気まぐれ稼業」だ。久しぶりの共演。手紙で植木さんは「28年ぶりに一緒の舞台に出て、(君が)大きくなったので、とても嬉しかった」と書いている。「おやじさんは座長の楽屋を私に譲ってくれたんです」と振り返る。

 ロケで台風に遭い、ポーカーに興じて13億8千万円負けた話、小松さんが寝坊して舞台に遅れそうになって植木さんが慌てて車を運転、スピード違反で捕まった話……。懐かしい思い出を書いて「飲み過ぎに気をつけて」と小松さんを気遣っている。

 「おやじさん、優しかったなあ、ほんとうに」

(編集委員 中沢義則)

[日本経済新聞夕刊2016年5月21日付]

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