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「出発点に立った」深田晃司 「淵に立つ」の豊かさ カンヌ映画祭リポート2016(4)

2016/5/18

上映終了後、拍手を受ける(左から)浅野忠信、深田晃司

 「みなさんに拍手をいただいて、この映画がやっと生まれたなと思った。最高の生まれ方だった」

 14日深夜、ある視点部門の「淵に立つ」の上映が終わり、深田晃司監督はそう語った。映画は観客に見られることで初めて完成する。10年前に構想した念願の作品だけに、普段はクールな深田も感慨深げだった。翌朝のルモンド紙は「恐らくある視点部門で我々が見た作品の中で最も驚くべき作品だ。そこにはドライでぎくしゃくしたメロドラマと共に常に怒りがある」と好意的に評した。

深田晃司監督「淵に立つ」

 オルガンを弾く少女を真後ろからとらえたショットから始まる。かちかちと音をたてるメトロノームにあわせ練習をする一人娘の螢(ほたる)だ。その両親が営む町工場の前に突然、男が現れる。白いシャツに黒いズボンをはき、背筋をぴんと伸ばした男には、何やら非日常的なすごみがある。

 八坂と名のる男(浅野忠信)は、父親・利雄(古舘寛治)の古い友人らしい。人を殺して服役し、刑務所を出たばかりだ。そんな八坂を利雄は雇い、家に住み込ませる。何の相談もなかった妻の章江(筒井真理子)は猛反発するが、娘に優しくオルガンを教える八坂に次第にひかれていく。

 寝るときも休みの日も白シャツに黒ズボン。背筋を伸ばし、指先も伸ばし、サイボーグのように歩く八坂。家族で川遊びに行った日、その隠された本性が突如として噴出する。利雄と二人きりになったとき、そして章江と二人きりになったとき……。

 ある悲劇的事件が起こり、八坂は姿を消す。その8年後、罪の意識を抱えて生きてきた夫婦に再び波乱が起こる。

上映終了後の(左から)古舘寛治、深田晃司、筒井真理子、浅野忠信

 深田の作品を見てきた者にとっては、なじみのあるイメージがいくつかでてくる。町工場に突然入ってきた男、というのは「歓待」(2010年)にも出てきた。闖入者(ちんにゅうしゃ)のために平凡な家庭が揺れ始めるのも「歓待」と同じだ。家族で遊びに行く川沿いでの人物のたたずまいや、せせらぎの音、そこで起こる出来事の秘めやかさは「ほとりの朔子」(13年)に通じる。後半、車椅子に乗って移動する娘のイメージは「さようなら」(15年)を連想させる。

 安直なイメージの切り貼りではない。どのショットも構図がきわまっていて、水や車輪などの動きが生々しい空気感を伝える。深田の中に明確な映画的イメージがあるのだろう。

 緻密な色彩設計も見逃せない。娘が発表会のために着るドレスの赤、八坂と章江が2人きりになる林のモミジアオイの赤、そして白シャツを脱いだ八坂がまとう赤。赤が画面に現れると不吉なことが起こる。

 そんな豊かな映画的イメージを、丹念に構築したドラマの中に効果的に配置している。深田作品を見てきた者にとっては彼のイメージの集大成に思えるし、初めて見た者もその強固な作家性を感じとるだろう。

 10年前にシノプシスを書き、そのパイロット版を作ろうと、前半部分を短編にした脚本を書いた。短編製作は助成金の審査に落ちたため、実現しなかったが、助け舟を出したプロデューサーと話し合って、この短編脚本に肉付けして長編にしたのが「歓待」だ。家族の中に入り込んだ異物が、さらに異物を呼び込む物語に発展させ、現代日本社会の一面に迫った。今回の「淵に立つ」は家族一人ひとりの内面をより深く掘り下げていく。

 「しょせん他人でしかない人間が制度の下で一緒に暮らせば不条理なこともでてくる。家族は人間の社会の最小単位。僕にとっては家族を描くことも社会を描くことにつながる」と深田は話す。

 深田は小さいころから映画ばかりを見てきた典型的なシネフィルだ。深田と共に平田オリザが主宰する青年団に所属し、深田作品のほとんどに出演している古舘寛治は、深田がカンヌのホテルでタキシードを着るのにえらく手間取るのを見かねて手伝った話をしながら、「万事そう。全部やってあげないとできない」と笑う。映画に関しては「天才」で絶大な自信をもっているが、他のことはあまりできそうにない。だから周囲がみんな手伝ってあげる。それが監督としての強みでもあるというのだ。

 浅野も「ある意味で、人たらし。相米慎二さんもそうだった」と話す。八坂役をオファーされて以来、深田に対しては役についての意見を事あるごとに述べた。「こういうことをやりたい。こんなことは絶対いやだ。本読みも衣装合わせも、セリフもしぐさも妥協せず、好き勝手に意見を言った」。そんな長い戦いに粘り強く耐えながら深田が作品全体を隙なく作り上げていくのを感じた。「みんなが監督のために何かしてあげたいと思うようになり、この人の役に立ててよかったと喜んでいる。俺も『監督をいじめるスタッフがいたら、監督の絶対的な味方になってやるぞ』と思った」と浅野は語る。

 筒井真理子も「見守りたくなっちゃう」と言いながら、「静かな自信のある方。撮っている画に関して確信がある。俳優にとっては安心できる監督」と信頼を寄せる。

 ここ数年、カンヌにやってきた日本人監督は黒沢清が1955年生まれ、三池崇史が60年生まれ、是枝裕和が62年生まれ、河瀬直美が69年生まれ。80年生まれの新世代・深田の登場は喜ばしい。「子供の頃からカンヌにあこがれ、カンヌを通過した監督たちにあこがれた。でもそんな監督たちでカンヌがゴールと思っていた人はいない。僕もこれがスタートだと思って作っていきたい」。深田はそう決意を語った。

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 15日のコンペ部門には2人の女性監督が登場した。フランスのニコール・ガルシアと英国のアンドレア・アーノルドだ。

ニコール・ガルシア監督「石の痛み」

 ニコール・ガルシアの「石の痛み」はイタリアの女性作家ミレーナ・アグスの小説の映画化だ。原作は「祖母の手帖」(新潮社)というタイトルで邦訳が出ている。

 ガブリエル(マリオン・コティヤール)は思い込みが激しく直情的な性格のために、娘のころから親に疎んじられ、一時は精神科病院に入れられ、愛のない結婚をさせられる。結婚後も売春宿通いをやめない夫のために娼婦の格好で夜を共にする。そんな不幸な女が結石の治療のために滞在した山あいの温泉治療施設で、ピアノの上手な帰還兵(ルイ・ガレル)と出会う。ガブリエルは初めて本当の愛を知る。

 マリオン・コティヤールの熱演に尽きる。いちずで不器用な女の激しい情熱の表現が見事だ。女優でもあるガルシアの演出もこの点ではさえている。結末は原作とは違って、よりミステリアスになっていて、映画的な膨らみがある。

アンドレア・アーノルド監督「アメリカン・ハニー」

 アンドレア・アーノルドの「アメリカン・ハニー」は18歳の娘が家を飛び出し、雑誌の購読契約をとるセールスの一団に入って、アメリカ中西部を旅するロードムービーだ。

 いかれた同僚の若者たちとのクレージーな日々、誘ってくれた男との激しい愛、セールス先で出会う様々な男たち……。「フィッシュ・タンク」で退屈な日常から抜け出そうとする不良娘のもがきを描いた監督らしく、孤独な少女の鋭敏な感性をみずみずしく描き出す。

 手持ちカメラであたかもドキュメンタリーのようにとらえた若者たちの無軌道な行動の生々しさがこの映画の命だ。

(編集委員 古賀重樹)

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