山村題材の映画、相次ぎ公開 農に根ざす豊かさ探る
山村で暮らす人々を追ったドキュメンタリー映画の秀作が相次ぎ公開される。蓄積された文化の厚みに焦点をあて、「農」を根本とした暮らしの豊かさを再発見する。
農民詩人の半生
原村政樹監督「無音の叫び声」(9日公開)は山形県上山市牧野に住む農民詩人、木村迪夫(80)の半生をたどる。
貧しい小作農の長男として生まれ、戦争で父と叔父を失う。15歳から一家の柱として働きながら定時制高校に通って詩に目覚める。高度成長期は出稼ぎもしたが、家族と共に過ごすため、村で廃棄物収集業を始める。
「三里塚」シリーズを撮った小川紳介監督らの移住を受け入れたり、叔父の慰霊のために米国防総省と交渉してウェーク島を再訪したり。そんな破格の行動力を発揮しながら、生活実感に根ざす骨太な詩を書き続けた。
木村の折々の詩はこの国の戦後史と重なる。
「にほんのひのまる なだてあかい かえらぬ おらがむすこの ちであかい」(祖母のうた)。戦争で2人の息子を亡くした文字の読めない祖母が養蚕の傍ら実際に口ずさんだ労働歌だという。100世帯足らずの牧野で31人が戦死した。
「夢の中で 還って来た牛を見た」(喪牛記)と農業近代化で失ったものを見つめ、「冬が怖いと婦たちは 哭(な)く」(魔の季節)と出稼ぎの悲哀を嘆く。そしてかつてはその閉鎖性ゆえに反抗した村と向き合い、村人の魂の宿る精神世界を書くことへ傾斜していく。
「木村さんの詩を通して、小さな村から日本の戦後史が見えてきた」と原村。それは詩人の真壁仁が木村らに語った「村から一歩も出ることはなくとも、日本を、世界を見据える人間になれ」という言葉と呼応する。山村に蓄積する文化の厚みと心の豊かさが浮かぶ。
佐々木聰監督「ふたりの桃源郷」(5月14日公開)は山口県岩国市美和町の電気も水道も通わない山で暮らした老夫婦を25年にわたって追う。
田中寅夫さんフサコさん夫妻は終戦後、山を手に入れ、畑を切り開く。しかし高度成長期に3人の娘の将来のため大阪に転居。寅夫さんはタクシー運転手として一家を支えた。そして子育てが終わった1979年、65歳の夫と60歳の妻は「余生は山で」と山に戻る。
だが桃源郷の暮らしにも老いは忍び寄る。関西で暮らす娘たちは両親の体を心配し、山を下りるように説得するが……。
山口放送ディレクターの佐々木は、25年前に取材を始めた先輩を引き継ぎ、畑仕事を手伝い、食事を共にしながら、夫妻を撮り続けた。「真っすぐに生きている姿にひきつけられた」と佐々木。
なぜ夫妻は山に戻ったのか? という問いが映画の根底にある。「郷愁だけではない」と佐々木。「自分で食べるものくらい自分で作らんと、土があれば何でもできる、が寅夫さんの口癖だった。背景には戦争体験があった。彼が伝えたかったのは、農を中心に据えた生き方ではなかったか」。そんな生き方を娘世代もまた引き継いでいく。
厳しいながらも豊かな山の暮らしに、新たに入った人々もいる。小林茂監督「風の波紋」(公開中)は新潟県妻有地方に都会から移住してきた木暮さん夫婦の生活を中心に、地元民と移住者が協力する新しい形の「結(ゆい)」に焦点をあてる。
屋根ふき、田植え、茅刈(かやか)り、雪おろし……。豪雪地では何事も近隣の協力が必要だ。映画はそんな地道な作業を追う。作業後の酒宴と歌合戦も。
被災からの再建
撮影中の2011年3月12日、長野県北部地震で木暮さんの家は全壊する。「震災映画にするつもりはなかった」という小林は、がれきや避難生活には目もくれない。地元の年寄りの知恵を借りながら、仲間たちが力を合わせて家を再建する作業をひたすら撮る。
個性豊かな移住者たちだが、その経歴にはほとんど触れない。現在の妻有の暮らしと、人々の関係性だけに肉薄する。
そうするうちにカメラは奇跡的な山村の光景をとらえ始める。例えば雪に閉ざされた宿の主人が尺八奏者と杯を重ね、酔って即興詩を叫び始める。見渡す限りの雪原を行くキノコ採りの人々の前を、野ウサギが駆ける。
傾いた柱をたたく音、茅の束を打つ音、湿田に苗を植える音、子ヤギが乳を吸う音……。それら一つ一つが内実を伴う確かな再建のつち音として見る者の耳に快く響く。
「軽トラックで片道1時間程度の広い範囲に住みながら、地元の人も移住した人も、事あるごとに集まって協働する、新しい形の『結』ができている」と小林は語る。生活者が探り当てた山村の豊かさだ。
(編集委員 古賀重樹)
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