震災5年、遠い文化財復旧 人手不足で手つかず多く
東日本大震災の津波や福島第1原発事故で被災した岩手、宮城、福島3県の地域文化財は100万点以上といわれる。海中やがれきの下から多くが救出されたが、今も多くの文化財が元の場所に戻れていない。5年を経過した被災文化財の現状を追った。
今月12日、名古屋市博物館の展覧会場で一台の木製リードオルガンが演奏披露された。岩手県陸前高田市で大津波にのまれ、3年の歳月をかけてよみがえった「奇跡のオルガン」だ。「この音色を多くの人に届けることで復興への力となれば」と「音出し」に協力してきたピアニストの中村由利子氏。「早春賦」や「ふるさと」を奏でると、取り囲む大勢の入館者が自然と歌い出し、最後は大合唱となった。
名古屋市博で開いているのは「陸前高田のたからもの」展(27日まで)。救出・修復された陸前高田の被災文化財を全国で巡回展示するもので、これまでに兵庫、宮崎、福井などの公立博物館や東京国立博物館で開催。地域文化財の大切さと修復の難しさを訴えてきた。
高度な技術必要
陸前高田市は岩手県内でも古くから歴史民俗資料を集めており、津波で被災した収蔵品は50万点超と桁違いに多い。これまで県内外の専門施設で除泥、洗浄、脱塩などの「安定化処理」を進めてきたが、終えたのは約17万点にとどまる。残り30万点超の処理も外部に頼まざるを得ない状況だ。
多数の被災文化財が運び込まれた岩手県立博物館は昨年、専用の保存修復施設を設置。臨時職員が沿岸自治体から依頼を受け、古文書や民俗資料などの安定化・修復作業を進めていた。
その一人で大学で文化財修復を学んだ古舘洋子氏は「資料一点一点の状態が違い、取り扱ったことがないものも多い」と話す。漁労具や気仙大工の道具、釜石の鉄鋼史料などを扱う高橋紳一氏は「サビ取りの経験はあったが、木材と金具が両方ある漁労具や大工用品などはノウハウがない」と難しさを訴える。
同博物館で修復作業を主導する首席専門学芸員の赤沼英男氏は「これまでは水洗浄できたものが中心だったが、今後は油彩画や革製品など水で洗えないもの、非常に傷みが激しいものが対象になる」とさらに処理が難しくなると指摘。「新たな対策などこれまで以上に労力と経費が必要。あと10年以上はかかるのでは」と予測する。
自治体の人手不足も被災文化財の復旧に影を落としている。宮城県では津波で全壊した石巻文化センターの収蔵品10万点以上が救出され、多くを旧石巻市立湊第2小学校に仮保管した。現在、パート職員がデータ入力、嘱託学芸員が温湿度管理などを手がけており、一見整理が進んでいるように見える。
だが、管理する市教育委員会生涯学習課の成田暢氏は「整理は手つかずの状態」と打ち明ける。同氏は石巻文化センターの元学芸員で「我々なら収集した資料の来歴がわかるが、実際は市のほかの仕事で手いっぱい。このまま若い人たちに知識をつないでいけるか心配だ」と不安を募らせる。
保管は一時的
福島では原発事故に伴う旧警戒区域にある富岡・双葉・大熊3町の施設から段ボール約2900箱分の歴史民俗資料が救出された。放射線量を一点ごとに検査してから持ち出し、旧相馬女子高校で一時保管。その後、県文化財センター白河館(白河市)の敷地に建てられた仮設収蔵庫5棟に段階的に移送。3月に移動が完了した。
保存科学専門家などが知恵を絞って建てた仮収蔵施設は、温湿度や防かび防虫を厳しく管理されている。同館学芸課長の本間宏氏は「3町の教委が判断して県があくまで一時保管しているだけ」と強調するが、原発事故終息の見通しは立たない。3町も文化財専任の担当者を置く余裕がないため、「お返しできるのはいつになるか」と心もとない状況だ。
石巻の文化財レスキューを主導した東北歴史博物館学芸員の小谷竜介氏は「元の場所に戻るまで采配できてレスキューの一応の区切りとなるが、自治体側にその後の整理や修復のためのマンパワーが確保できないと、国の補助事業なども執行できない」と指摘する。
震災当初から文化財救援にかかわってきた東京国立博物館特任研究員の神庭信幸氏は「被災文化財を将来どう公開していくかに話題が移りつつあるが、安定化処理や修復作業もますます専門的に難しくなっていく。今は理解のある世論が5年を経て『まだやっているのか』といつ反転するのかが怖い」と懸念する。
文化財は地元住民のもとに戻って公開されてこそ意味がある。その日が来るまで多くの人の持続的な理解が求められる。
(文化部 富田律之)
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